RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

少女より始むる@Bunkamura Gallery 8/ 2026年1月11日(日)

「池永康晟 個展」とされている。

 

ギャラリー内には同じテイストの作品が多数並ぶ。


即売会の値付けを確認すると、
小さい作品では七十万円内外、
大きめになると百六十万円前後。

それでも多くの〇シールが付いており、

会期二日目でこの状態は凄い。
かなりの人気のほどがうかがえる。


冠タイトルは「少女」も、、
「少女」を題にしているようにも見えぬ。

画面に大きく描かれた彼女等は、
静かに顔を向け、少々大人びて見える。


独特の肌色に、周囲は植物が埋め尽くす。

『ミュシャ』の描く女性の背景にも
こうした文様があしらわれていたことを思い出す。


会期は~1月27日(火)まで。

www.bunkamura.co.jp

「Kogei meets… 出会いから生まれるかたち」展@スパイラルガーデン 2026年1月11日(日)

標題館で{工芸}に絞った展示は珍しいのではないか。
加えて「令和7年度文化庁首都圏伝統工芸技術作品展等開催事業」とも書かれている。

 

出展作家は六名。
フィールドも{陶芸/染織/漆芸/金工/竹工芸/人形}と広範。

「伝統」と書かれていることから、
古風な作品を予想していると、
あっさりと裏切られる。

例えば{人形}なら
並んでいる二体のうち
左側のタイトルは〔霧笛〕。
手に携えているのは横笛。

その右側には〔PUNK FLOW GIRL -苔のむすまで-〕のタイトルで
抱えているのはエレキギター(笑)。


展示は万事、この調子。

調と破が隣り合い、
眼を楽しませてくれる。


会期は~1月23日(金)まで。

おくびょう鳥が歌うほうへ@109シネマズ川崎 2026年1月12日(月)

封切り四日目。

席数118の【シアター5】の入りは六割ほど。

 

 

『シアーシャ・ローナン』が初プロデュースを手がけ、自ら主演。

原題は〔The Outrun〕なのでタイトルの「鳥」とは
あまり関係が無さそう。

話中には「鳥」に絡めたエピソードはあるものの、
歌うのはどちらかと言えば「海豹」。

日本の配給サイドが、彼女が主役の名篇
〔レディ・バード(2017年)〕に引っ掛けているのは明々白々。

とは言えそれが興行に影響するハズもなく、
封切り館の数は寂しい限りなのだが。

もっとも、そんな大人の都合は
作品の中身や出来とは無関係。


主人公はたしかに『クリスティン』を彷彿とさせる。

『ロナ(シアーシャ・ローナン)』はロンドンの大学院で生物学を学んでいた29歳。

変化のない田舎や、鬱々とした家族に辟易し、
自身を変えるために都会へと出る。

最初は新鮮な生活も、
やがてはその刺激の強さに呑み込まれ、酒に溺れる。

精神を病み、繰り返し断酒会に通っても酒とは縁が切れることはなく、
恋人を始め、周囲には不義理を重ねる。

傷つき戻って来た故郷は
厳しい自然に囲まれ、娯楽もないところ。

昔に居た場所で、彼女は自分を取り戻すことができるのか。


作品は過去と現在を行きつ戻りつする。

過去の出来事は
綺麗な時系列ではなくバラバラに分解され
提示される。

さながら、アルコールと縁が切れなかった時の
混濁した状態を、観る者に共有させるかのよう。

主人公の記憶そのものが
虚ろだったことの証でもある。


鑑賞者はそれを順序だてて整理するのだが、
そのよすがとなるのが『ロナ』の髪の色。

ピンクに染め、やがて青に変わり、
毛先だけに青が残り、地毛の金髪となり、
更にはオレンジへと変わって行く。

彼女の心情をそのまま表現しているかのような色味。


評価は、☆五点満点で☆☆☆★。


アルコール依存とそこからの再生を扱った作品は
〔失われた週末(1945年)〕が嚆矢で優れモノ。

酒量が多くなる過程を、
グラスの丸い水跡がテーブルに重なることで表現するなど、
洗練された描写も多い。

それに比してここでの直截的な描き方は、
観る者の神経を相当に刺激する。

先の作品は、心に誓うところで終わるのだが、
本当の地獄はその先に待っており、
一生涯付き合って行く枷なのは
本作の方が正鵠を射ているのだろう。

 

喝采@TOHOシネマズ シャンテ 2026年1月10日(土)

封切り二日目。

席数224の【SCREEN1】の入りは八割ほど。

 

 

『ジェシカ・ラング』も今年で七十七歳。

スクリーンデビューは二十七歳時の〔キングコング(1976年)〕。
ただ金切り声を上げるだけとの悪いイメージが付いてしまったが、
三年後の〔オール・ザット・ジャズ(1979年)〕、更には
〔郵便配達は二度ベルを鳴らす(1981年)〕とキャリアを重ね、
〔トッツィー(1982年)〕
〔ブルースカイ(1994年)〕では「アカデミー賞」を受ける見事な咲きっぷり。

以降はコンスタントに出演してはいるものの、
さほど大きな役にではなかったとの記憶。

そして本作。
実年齢と重なる役柄をどうやりきるか。


実在のブロードウェイ女優『マリアン・セルデス』を
モデルにしていると聞く。

脚本は彼女の姪『エリザベス・セルデス・アナコーン』の
手によるもの。


本作で演じるのは
生ける伝説の女優『リリアン・ホール』。

五十年近い芸歴で二百本以上の舞台に出演した
その名前だけで客を呼べる一枚看板。

が、斬新な演出の〔櫻の園〕の稽古中、
自身の躰の異変に気づき受診した結果、
認知症の進行が判明する。


家庭も顧みず演劇に打ち込んで来た彼女には、
後進に役を譲る気持ちはさらさらない。

しかし身体の不調は進み、
あまつさえ肝心の台詞が頭に入って来ない。

長い時間を共に暮らす家政婦には気づかれてしまったものの、
近くに住む娘や、共演者たちには気取られぬよう心を砕く。


なんとかして初日を迎えられるのか、が
サスペンスの一つも、
もう一つのテーマは愛について。

亡くなった夫は演出家で、
「二人は同志で割って入る余地はなかった」と
娘は語る。

認知症は進み、亡き夫の姿を幻視するようになり、
初日の劇場へ歩いて向かう中途、
手招きされるままに後を追い公園に入り込む。

その時には、舞台に穴を開ける可能性は
頭から抜け落ちている。

幻覚の中とはいえ、濃密な逢瀬。
それが彼女に与えた影響はいかほどか。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


演目が〔櫻の園〕なのも綾の一つ。

一旦、稽古に入ってしまえば、
日常の暮らしすら舞台と一体化させてしまう冒頭の見せ方も巧いが、
何と言っても筋そのものが主人公の姿と重なる。

没落した貴族は現実を理解もできず
受け入れることもできず、
ただ昔の華やかに記憶に囚われ
従容と消えて行く。

抗うことを諦め、
散り散りになって行く一族。

しかし『リリアン』は今の境遇に
どう立ち向かったか。

更にはそれが
イマイマの『ジェシカ・ラング』とも重なって行く。

 

 

架空の犬と嘘をつく猫@TOHOシネマズ日比谷 2026年1月10日(土)

封切り二日目。

席数93の【SCREEN10】の入りは二割ほど。

 

 

次男の事故死をきっかけに魂を飛ばしてしまい、
屍のように生きる母『雪乃(安藤裕子)』。
最低限の家事はするものの、
彼が生きているかのように振る舞い、
生者よりも死者への想いが強く、
生活の中心には亡き息子が常に存在する。

そんな妻を受け入れられず、
愛人の元へと逃げ込んだ父『淳吾(安田顕)』。

両親、とりわけ母に反抗する長女『紅(向里祐香)』は、
家族内でもっとも気丈に見えるが、
「嘘が嫌い」と言い放ち、幼くして家を出る。

優しい長男は贖罪の気持ちから、
次男が生きているかのように騙った手紙を
母に出し続ける。

『羽猫』家の歪な形は、いつまで続くのだろう。


祖父は早くに亡くなるが、
先祖由来の裏山に遊園地を造るとの
途方もない夢を生前に語っていた。

祖母は関西で買い付けて来た骨董に、
自身が空想したお話し盛り、
付加価値を付けて売ろうとする。

それでも、彼と彼女の言葉は人々を魅了する。

傍目からは危なげも、
この家族の中では、
家庭内のバランスが上手く保つよう機能させる
比較的穏当な人たちに見えてしまう。


狂言回しは長男の『山吹(高杉真宙)』。
母への心尽くしで判るように温かい心根は、
多くの異性を惹き付ける。

そうした思いやりが契機となり、
『羽猫』家は僅かずつ、
在るべき姿に戻ろうとする。

麦踏みが、麦の成長を促し、
収穫量を増やすように、
試練が家族の在りようを
一段高い場所に引き上げる。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


冒頭と終盤で麦秋が風にそよぐシーンが挟み込まれる。

とりわけ後者のそれは、後に続く幾つかのカットを含め、
『小津安二郎』の〔麦秋〕〔晩春〕〔秋刀魚の味〕を想起させる。

『小津』作品は、わけても父と娘の関係性を
いやおうなく考えさせるが、
本作ではより広範に「家族」そのものの在り方に思いを強く寄せる。

散漫に見えた両親と子供たち各々のエピソードが、
緩やかに繋がる家族の形へと最後には収斂して行く。

映像的な面での『小津』監督作品へのオマージュとの見せ方を通して。

 

山手線 駅の情景@鉄道歴史展示室 2025年12月21日(日)

会期は前後期に分かれ、
前期:2025年12月9日(火)~2026年2月1日(日)
後期:2月3日(火)~3月22日(日)


「山手線環状運転100周年記念」
「描かれ、撮られ、綴られた100年」とも付されている。

 

常なら鉄分の多いマニア向けの内容が多々も、
今回は一般の人も楽しめる工夫が随所に。

写真と共に絵も多く展示されているのが最たるもの。

とりわけ東京に長く住んでいるほど、
自身の記憶と照らし合わせて懐かしさが込み上げて来るはず。


たしかに四十年ほど前までは、
各駅の駅舎も周辺も、今ほどは綺麗でもないし
整備もされていなかった。

個人的にもっとも変容したと感じるのは大崎か。

目黒も東急線の駅舎は地上に在ったよなぁ、などと。

ノスタルジーにもひたれるし、
ここ数十年の変化の速度と中身に驚くことしきり。


これは「後期」の展示も楽しみだ。

プリピクテ Storm/嵐@東京都写真美術館 2026年1月2日(金)

元々は無料の展覧会。
が、無料の日の一環か、
「お正月特別開館入場券」の提示を求められる。


「プリピクテ」が提供する写真展は
「@ヒルサイド」での開催も含め
過去に五回ほど観ている。

が、ここ四年ほどは、
この時期この場所でと固定されているよう。

 

十二名の作品が並び、
展のタイトルにあるように何れも
「今そこにある危機」を題材としている。


『ボードワン・ムワンダ』の作品は
「コンゴ ブラザビル」で起きた洪水の様子を写したもの。

画面の上3/5は変哲の無い日常の景色。
ただ視線を下に移すと、残り2/5は全てが水に浸かっている。

まるで〔ウォーターワールド(1995年)〕の世界観。
しかしこちらは現実なのだ。


その対極に在るのが
『アルフレド・ジャー』の〔ジ・エンド〕。

『ドアーズ』の楽曲のようなタイトルだが、
舞台は「アメリカ グレートソルトレイク」。

こちらでは逆に水量が減り、
塩分濃度は高まり
生態系への影響が出始めていると言う。


『ベラル・ハレド』の「ガザ(パレスチナ)」、
『レティシア・ヴァンソン』の「オデーサ(ウクライナ)」を
撮った作品も、危機感を眼前に曝す点では同じだろう。

この種の展示を観る度に、
〔ターミネーター(1984年)〕の最後のセリフを思い出す。
「嵐が来る」と。


会期は1月25日(日)まで。