RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

プレゼンス 存在@TOHOシネマズ川崎 2025年3月9日(日)

封切り三日目。

席数112の【SCREEN8】の入りは三割ほど。

 

 

幽霊から見た一人称の映画。

類似の構造として、
切なさが込み上げて来る「愛」についての秀作、
〔A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー(2017年)〕を想起した。

先の作品は、不慮の事故で亡くなった男が
白いシーツを被った幽霊の姿になり、
妻が今も住む家を訪れる物語り。

彼はその場所で地縛霊となり、
今のみならず、過去と未来をも見守り続ける。
とは言え何の行為もできずに、ただ佇んで居るだけ。

その眼にはどのようなものが映り、
何を感じているのだろうか。
ただ、世の中は、禍福は糾える縄なのを知る。


翻って本作の幽霊の性別は判らず
(ただ作中で、霊媒師が「HE」と表現していたような)。

何時からその家に居るのか、
どのような理由で成仏できないのかもわからない。

人には直接触れることはできないものの、
家の中に置かれている物には干渉できるよう。

なので、直近公開の邦画〔死に損なった男〕に
類似の設定ではある。


その幽霊の居る屋敷に
四人の家族が越して来る。

夫婦に兄と妹の構成も
妹の『クロエ(カリーナ・リャン)』は
母からも兄からも疎まれている。

元々の内省的な性格に加え
直近で友人二人が相次いで亡くなったことで
更にふさぎ込んでしまっているため。

そんな彼女に対して、幽霊は異常な関心を示す。


勿論、幽霊の姿は見えないししゃべれないので、
我々はカメラに仮託された視線から
それと推し量るばかり。

が、カメラワークが絶妙で、
幽霊の懸念が手に取るように感じられる。

普段はスムースに動いているのに、
時として移動が荒くなったり。
或いは、クローゼットの陰に隠れたり、
衣類で自らの視線を遮ったり。

耳も聞こえているのかはわからない。
ただ幽体の故か、家族が知らぬことも
見えているのだろう。

次第にその憂慮は現実になり、
せっぱつまった末に行動を起こすのだが・・・・。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


実体の無いものに
感情移入をしてしまう不思議。

憤怒や焦燥を覚えている幽霊に対して、
観客は無責任にもじれったさを感じてしまう。

今、その場所で
なんとかできるのはお前だけなんだ~、と。

目に見えないモノに対して、
これほどのシンパシーを持ったことが嘗て有っただろうか。

なんとなれば幽霊よりも、
生者の方がよほど恐ろしいのだから。

東京工芸大学芸術学部写真学科卒業制作選抜@Sony Imaging Gallery 2025年3月8日(土)

単なる「卒業制作展」ではなく、
「選抜」の文字が付され
副題には「Recommend展 2025」とも書かれている。

 

計十四名の作品それぞれに付されているは
本人による制作意図と指導教員(?)による推薦の弁。


中でもとってもお馬鹿さんなのは
『一入彩月』の〔異常と過剰〕。

子供の頃からの夢、例えば
「プリンの風呂に入ってみたい」を実践した瞬間をおさめる。

バスタブの上一面にはプリンが浮かび、
本人は入浴しながらスプーンで掬って食べている。

これは至福なのか(笑)。


『リャン エイメイ』の〔旗、変われど〕は
現在の中国東北部にスポットを当てたもの。

中国~ロシア~日本(満州)~中国と、
支配する国は違っても、
そこに住まう人々の矜持は変わらない。


『岡崎哲』の〔新宿ポートレート〕は
新宿に集う人々を写したもの。

ただ、「タイガーマスクの新聞配達」を除けば
新宿らしさを感じるビジュアルはあまりない。


会期は~3月13日(木)まで。

2024年度 第48回 東京五美術大学連合卒業・修了制作展@国立新美術館 2025年2月23日(日)

会期は2月21日(金)~3月2日(日)なので、
既に終了した展覧会。

 

 

【1A~1D】で「女子美」「武蔵美」、
【2A~2D】で「造形」「日芸」「多摩美」との会場割も、
より六本木側の入り口に近い方が、
二階よりも一階の方が、客の入りが良いのは毎度のこと。


が、それを差し引いても
今年は「女子美」の展示が
全体的に一頭抜けていた印象。

『伊藤萩奈』の〔枷〕ようなちょっと危ない作品もあれば、
『吉野望愛』の〔孤影雪〕ように幽玄の中にかちっとしたものを感じさせる作品もありで。

一度全てを観終えたあとで、
再度、最初から見直してしまった。

吉村靖孝展@TOTOギャラリー・間 2025年2月23日(日)

 

なんとも面妖なタイトルが付けられている。

”マンガアーキテクチャー―建築家の不在”とは何ぞや?

当該建築家が手掛けた七つのプロジェクトを題材に
七人の漫画家が夫々作品化するとの試み。


【三階】の入り口から見えるのは、
壁沿いに七つの展示台。
前には椅子が置かれ、
座って漫画を見られるように。

その漫画はかなり大判。
一ページが新聞紙大ほどもあり。

捲るのに苦労しながらも、
三つほどを読了。


【四階】に上がれば、
下と対になる位置にやはり置かれている展示台。

しかし乗っているのは建物の図面。
漫画と相関しているのが分かる。

中央部には模型も置かれ、
1~7の番号も振られている。

なるほどこれで、
漫画-図面-模型が一つのものとして繋がった。


建築物もかなりユニークな発想・形状ながら、
それを漫画化することで
更にぶっ飛んだ表現になる面白さ。


会期は~3月23日(日)まで。

 

ANORA アノーラ@109シネマズ川崎 2025年3月2日(日)

封切り三日目。

席数89の【シアター9】の入りは七割ほど。

 

 

ニューヨークでストリップダンサーとして働く『アノーラ/アニー(マイキー・マディソン)』は、
時として売春まがいの行為もし、糊口を凌いでいる。

ある日、所属するクラブでロシアのオリガルヒの御曹司『イヴァン(マーク・エイデルシュテイン)』と知り合い、
一週間1.5万ドルの報酬で「彼女」になる契約を結ぶ。

さあそれからは友人たちも集まっての乱痴気騒ぎの日々。
終いにはプライベートジェットでラスベガスに繰り出した挙句、
勢いで婚姻届けを出してしまう。

『イヴァン』はグリーンカードを手に入れ、
『アニー』は富豪の一族に名を連ねることになり、
全てが薔薇色のハズだった。

しかしそうは問屋が卸さないのが、
21世紀の{シンデレラ・ストーリー}。


大きく括れば
〔マイ・フェア・レディ(1964年)〕、
〔プリティ・ウーマン(1990年)〕もその範疇。

社会的に底辺に居る女性が
金持ちの男性と出会い惹かれ合い、
最後には結ばれるとの{ロマンティック・コメディ}の側面も持つ、
定型化された流れ。

しかし先の二作品の男性は自立しており、
世間の風評などものともせず、
独断で事を進められる力を持つとの共通点があった。

愛が芽生えた二人の世界に余人の立ち入る隙は無く、
両性の合意によってのみ全てが決められる。


翻って本作の男女は共に二十代前半。

『アニー』は辛苦を舐めた生活から、
世間を判ってはいるものの、
『イヴァン』の方はまるっきりのお坊ちゃま。

働いたことはなく、
親の脛を齧るだけの典型的な「バカぼん」。

両親のコントロール下に置かれ、
自身では何も決めることはできない。

そうした男との将来は
最初から見えているわけだが。


『アノーラ/アニー』を演じた『マイキー・マディソン』の演技が特筆もの。

ポールダンスをはじめとするエロチックなシーンをこなしたかと思えば、
恋する乙女の表情になったりと、猫の目のように変化する。

が、白眉となるのは、
『イヴァン』の両親やその用心棒、ロシア正教会の聖職者と対峙する数々のシーン。

汚い言葉をまき散らし、泣き、喚き、叫び、暴れ、
{スラップスティック}まがいの立ち回りをパワフルに演じる。

その激しさに最初は思わず引いてしまうが、
次第にシンパシーを感じるようになる不思議な魅力が溢れ出す。


評価は、☆五点満点で☆☆☆★。


140分尺の半分以上を
{シンデレラ・ストーリー}後のリアルが描かれる
極めて異色の展開。

そして余韻を残す最後のシークエンスは、
二人の短い同居生活は
男にとっては「ワン・ナイト・スタンド」の(金で解決できる)余興なのに対し、
女には「純愛」だったことを切なく示すとともに、
世の中捨てたものではないと仄かな希望も持たせてくれる。

 

名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN@TOHOシネマズ錦糸町 オリナス 2025年3月1日(土)

封切り二日目。

席数172の【SCREEN1】の入りは九割ほど。

 

 

『ビートルズ』同様、自分が物心ついた頃には
『ボブ・ディラン』も既に頂点を極めていた。

とはいえ、彼のしゃがれた声、ぶっきらぼうな歌い方、
解り難い歌詞は、魅かれる人の多く居る理由が
当時の自分には理解できなかった。

が、本作では、
当時二十代前半にもかかわらず、
既に老成したようなスタイルの良さをしみじみと感じる。


でも、ほんの数年のバイオグラフィーを観ただけでも、
凡庸な男の敵だとつくづく思う。

いるんだよね~、磁力のように
特定の女子を惹き付ける魅力のある男。

代表例として『ジョーン・バエズ』か。
『ディラン』のくしゃくしゃの髪、
よった服装に母性本能を刺激されたのだろうか。

他の女性にも
世話を焼かれ面倒を見て貰える。
傍目からは羨ましい限り。


一方で彼には男たらしの側面も。

その才能故だろうか、
多くの先達たちに愛され引き上げられ。

彼等はなんの見返りも求めず、
若者の成長と成功に目を細める。


物議をかもした
1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでのパフォーマンスについては
相応の尺が割かれる。

やはりロック史に於けるメルクマーク的な出来事でもあるしドラマティック。

変わらないことを求める当時の観客の反応は
傍目からすれば相当に嗤わされる。

自分たちの事前期待に合わぬものは、
外れとして排斥する。

ただ、歌詞をよくよく吟味すれば、
『ボブ・ディラン』らしさの延長線上に在る。
持っている楽器と、演奏のスタイルが異なるだけで。

見た目と耳ざわりだけで拒否反応を示し、
本質に向き合うことはない。

変わらぬことが、自分たちを心地好く満たしてくれる。


他方『ディラン』は今に安住しない、変わらないことを善しとしない。

時として恩恵を施してくれた業界人の意に逆らっても。

自己の居場所に違和感を覚え、
ファンのリクエストにも逆らい、
女性たちからの強い愛情に戸惑いもする。

そんなアンビバレンツな若き主人公の横顔が
鮮やかに描かれる。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


何を置いても、主演の『ティモシー・シャラメ』の演技だろう。

顔は似てもいないのに、
背を少しだけ丸めて歩く姿や
歌い方や仕草さは、
往時のフイルムで観る『ディラン』そのもの。

聞けば劇中の楽曲は自らによる生の演奏だという
(エンドクレジットにも、その旨が記されている)。

ものするまでに、どれくらいの時間を費やしたのか。
もっとも、一つの作品のギャラが
億を超えるハリウッド俳優ならではの、
掛ける時間や揃えられるアドバイザーも潤沢な背景もあろうが。

 

幕末明治を写した記録写真@フジフイルム スクエア 2025年2月23日(日)

 

寡聞にして知らなかったのだが
「湿版写真」の解像度は
フイルムを遥かに凌駕し
デジタルをも上回ると言う。

なので「NHK」が誇る「8K」放送でも
なんの問題も無く使えるのだと。


本展はそうした時代に撮影された写真を、
オリジナルに忠実に再現したもの。

カラー写真にも見えるのは、
後から彩色したものだろう。

今となっては興ざめも、
当時は更に驚きの目を以って迎えられたことは
想像に難くなし。

日本の名所と風俗合わせて
八十点ほどが並ぶ。

景色の町並みは当然変わっているものの、
神社などはさほど変化がないようにも見え。
勿論、自然の風景は、更にその思いを強くする。


会期は~3月6日(木)まで。