可視光通信…菓子交通神?お菓子と交通の神じゃないって

可視光通信とか眼や光にまつわるもろもろ

造物主の掟

タイトルはJ.P.ホーガンの「造物主の掟」より (今回はひねりなし! )

ちょっとまえに、慶應大学の理工学部で可視光通信の紹介中心に理工学概論的な講義してくれと、外部講師のお座敷かけて頂いて、その導入部のトークとして入れたネタで久々のエントリー。
進化論と技術進歩をむりやりメタファーで繋げるという、無謀な試みをやってみます。

まず、元ネタである超重要なこの本。オススメです。
amazon:眼の誕生 ――カンブリア紀大進化の謎を解く-アンドリュー・パーカー/dp/4794214782
とりあえず、さらさらとiPadで書いてみた残念な感じのカンブリアのイメージでアノマロカリス君を載せときます。

あと、"眼"にまつわる話だと、
amazon:見る―眼の誕生はわたしたちをどう変えたか −−サイモン・イングス
 これも、分野も多岐にわたっていてとても面白いです。眼や光に興味がある人は必読。



さて、以前書いた、このブログで最大のブクマ数を誇るエントリー
「なんでこの周波数の電磁波だけが "可視"光?」
http://d.hatena.ne.jp/junaz/20100410/1270877464
で、単に「進化で効率のよいパッシブセンサで使える電磁波はこの可視光帯しかなかったのね」
程度の結論でしたが・・・・、造物主の意志はもっと深く、進化の必然で我々は可視光を「眼」で感じる定めがあったわけです。

この、「眼の誕生」で述べている「進化の光スイッチ説」すごいです。
何をいっているかというと、

カンブリア紀の大進化(大爆発・etc)といわれる、生物進化上の謎現象がある。
これの原因、なぜこの時期か?決定的論考がなかった。が・・・
ついに本当の本質的原因がわかったよ!!

  • 結局、これは、「眼」という構造を生命が手に入れたから!

「眼」が登場したとたんに、捕食者、被食者の競争が突然に激化、淘汰圧が劇的に上がり、お互いのセンシングの検知競争だけでなく、硬組織の発達に伴う外形の展開、その他「見た目」に関する様々な進化まで引き起こすことになった。それが、カンブリア紀の大爆発だよ!!    であると。


重大なのは、「可視光を感じる」ことでなく、「可視光を眼で見ること」という点。可視光自体の明暗センサーは、大進化に先立って、基本センサーで獲得はしていたがそれはほかの感覚と大してかわらない、イメージングして世界をとらえるという独自の感覚は、明暗をセンシングするだけから異質なものであるとのこと。

え?じゃあなんで、カンブリア紀にその、"眼"の発明がおきたか。というと、

  • それは、生物のデザインが複雑さの臨界量を超えた時期だった。
    • 多細胞性粒も出現し、外界の感覚についての基本的な神経ネットワーク構造ができ始めて、眼みたいな複雑な情報処理系を構成する下地ができていた
  • 地上に降り注ぐ光のエネルギーが急激に増えた。
    • 大気中のエアロゾルの濃さの関係でこのころまでにエネルギーが増えた。また、当時の太陽系の銀河の腕における位置的にみても、星間物質の比較的濃いところから薄いところに抜けたあたりだったかも。(ここはかなり推測)

というのを、まあ、くどいくらい丁寧な論証で述べた本です。
wikipedia:カンブリア爆発にも、パーカーの光スイッチ説簡単に解説出てます。

図にするとこういう感じ。

※すべて、雰囲気で書いた模式図なんで、まじめにグラフは読み取らないように。 特に、可視光エネルギー降り注ぎの増大は、本書のなかでも、けっこう定性的な仮説の扱いです。
図表の表現では甘いですが、眼のデザインって、ほぼ500万年くらいの超短期間で(つまり進化史的には、まさに一夜で)行われてしまったというのが、にわかに信じがたいほど、不思議です。(この超短期間で進化してしまったことの論考は、2番目に紹介したイングスの「見る」のほうが詳細)


示唆的です。
「可視光を感じること」でなく、「眼で可視光をみること」が大事だと。

つまり、可視光やるなら明暗の変化(単一フォトダイオード)でやるのでなく、イメージセンサでやれってことですよね。

たしかに、まず、一般の通信(主に電波)というのは、物理的なお互いの空間的位置関係は、本質ではありません。気にしていません、つか、気にするような使い方を想定してない。
だからこそ、ポケットに入れても、後ろからも、情報がやって来てとてもとても便利。なわけです。


しかし、ユビキタスだのモバイルってことで、私たちのコンピューティングは、
「イマ・ココ」の文脈にあった情報提供が、ますます必要になっています。

つまり、自分がこの環境の中で、何を見てるか・何に注意を向けたか、だれから注意を向けられているか、というのがものすごく大事になっているわけです。

何に注意を向けたかを指定するためには、相当に高い空間解像度がいります、これは周波数の短い電磁波=光を使うしかありません。そして、注意を喚起するのによいことは、眼で見えることですから、光といってもとりわけ、可視光が絶対に有利です。
そしてその可視光なりの解像度で、電磁波の細かい強度分布(=つまり視界の"絵")を時々刻々得る手段は、カメラ(イメージセンサ)で受けるしかないわけです。

-私たちの身の回りには、標識、看板、インジケータ があふれていることを思い出してください。
-たった1つの小さなLEDのワーニングを数mは離れてもしっかり見えることを思い出してください。
-カメラを向ければ、「何勝手にとってんだよぉ!」となることを思い出してください。



・・・・・というわけで・・・・
これまでの通信は、通信は基本的に帯域幅(伝送速度)だけを気にして発展してきました。
いわば眼をつぶって、どれだけ早く大きい荷物を運ぶかの競争でした。
これは、生命がいっしょうけんめい基本的な外界のセンサを発達させていたことに相当します。(ということにしましょう)

でもさらに、私たちのニーズは広がって、イマ・ココの現場の状況(コンテキスト)に合わせた情報が必要になっています。そのための、背景技術はもうあります。
そう、ついに、生命が眼を発明したように、通信も”眼”で行う時代がやってきました。

カメラで可視光通信(イメージセンサ通信)するのは、このように進化の必定である! 造物主の掟なのだ、
そうなのだ!今から通信におけるカンブリア爆発が始まるのだ!

・・・・という強弁でございました。