『セクシー田中さん』芦原妃名子さんの漫画が、多くの人から愛され続ける理由
日本テレビで2023年秋に同名ドラマ化された漫画『セクシー田中さん』の原作者である漫画家・芦原妃名子さんが急逝した件で、日本テレビが5月31日に、原作の発売元である小学館が6月3日にそれぞれ調査報告書を発表した。
報告書の内容を受け、本件は改めて世間の耳目を集めることになり、脚本家やプロデューサーへの批判も再燃してしまっている。しかし、芦原さんの本心はもはや伺うことができないものの、芦原さんの作品は「誰かを悪者にしないこと」がたしかに通底されていた。
(初公開日は2024年2月6日 記事は公開時の状況)
==========
1994年のデビュー以来、小学館漫画賞を受賞した『砂時計』『Piece』をはじめ、数々の名作を紡いできた漫画家の芦原妃名子先生。先週報じられた芦原先生の訃報は、ファンの一人としてとても受け止められないショックな出来事でした。
心が弱ったときや、前を向けないとき。芦原先生の物語には、いつでも読者を支えてくれる力があります。今回は、そんな芦原先生作品の魅力について紹介したいと思います。
アラフォーで地味な経理部のOL田中さんと、婚活に励む派遣OL・朱里を中心に登場人物たちが刺激し合って成長する物語『セクシー田中さん』(小学館刊)。この作品を読むだけでも、登場人物たちのキャラクター設計の深さに驚かされます。
主人公・田中京子は、TOEIC900点越えで税理士の資格をもち、経理部のAIと呼ばれる地味な40歳の独身OL。一方で、夜になると妖艶なベリーダンサー「Sali(サリ)」に変貌します。もう一人の主人公・朱里(あかり)は、23歳の派遣OLで、いわゆる「愛され女子」の風貌ですが、内面は実は腹黒く、考え方もドライ。
朱里は、田中さんのベリーダンサーとしての一面を知り“ストイックで、クールで、クレバーでユニークだけど少し影のある……気になって仕方ない人”(セリフ引用:芦原妃名子『セクシー田中さん』/小学館刊より、以下“”内同じ)とファンになります。自分の生き方を貫き、朱里からは、圧倒的な存在として崇められる田中さん。しかし、自己肯定感が低い部分も伺えます。四十肩に見舞われた際には“ダンスが踊れない私なんて、ただのおばさんよ――っ!!!”と号泣し、闇落ち。少女漫画やロマンチックな映画は好きだけど、恋愛には驚くほど消極的。人に関心がないようにみえて、過去の経験から他人とのコミュニケーションにとことん臆病。
ひとりの人間を、ひと言で表現するのは実に難しいことです。いい面もあれば、悪い面もある。調子がよい日もあれば、悪い日もある。対峙する人が変われば、見え方も変わってきます。そんな人間の本質的な部分を前提に、深く丁寧にキャラクターが設計されているからこそ、どの登場人物も「人間」としての解像度がとても高い。読者は、その奇抜な設定ではなく、人間らしく生きる唯一無二のキャラクターに惹かれるのです。
誰かを一方的に悪者にしない描き方も芦原先生の作品の特長。例えば、女性への偏見にまみれた36歳の銀行員男性・笙野(しょうの)。はじめは、田中さんを“おばさん!”と呼び止め、朱里のことは“媚びまくって、男つかまえることしか頭になさそう”と決めつけるなど、失礼な発言しかしない人物です。
登場した当初は、筆者も「なんだこの無礼な男は!」「でも、アラフォーのこじらせ男子ってこういう価値観なのかも……?」なんて思っていました。しかし、徐々に彼を見る目が変わっていき、なんなら好きになりました。それは、彼の偏った価値観の背景にある家庭環境や過去の恋愛経験、親切心をもつ人間性が、丁寧に描かれていたから。さらに、田中さんとの対話、交流を通して笙野は少しずつ価値観をアップデートしていくのです。
そこから一気に田中さんと笙野が恋人関係に発展していくのか?! と思った読者も多いはず。しかし、そんな王道展開にはならないのが芦原先生の作品です。恋の矢印は簡単には向き合わないし、“理想的な気もするけど、おばさんだから抱けない!”など葛藤や勘違いをくり返していく笙野。