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“iPod旋風”の極意は心に深く突き刺さる前刀流マーケティングにあり:後編

別井 貴志 (編集部) 、構成:島田昇(編集部)2006年12月29日 08時00分
特集

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小池:あの頃(前刀氏がライブドアの民事再生手続きと営業譲渡手続きをしていた頃)、僕も時間があった時期で一緒にゴルフとかしてたじゃない。あの時にも「明日、また民事再生の件で行くんだよ」とか、随分長いことやってたよね。

前刀:民事再生手続きが完了したのは2003年の9月だもの。1年もかかったわけです。そうそう、2002年11月29日に営業譲渡を完了し、我々がやったライブドアのサービス最終日になったんだけど、実は11月29日はライブドアのサービス開始日だったんだよね。

小池:奇しくも。

前刀:3年でピリオドを打った。しかも、旧ライブドアが民事再生に至った1つの大きな原因となったワールドコムは、時価総額経営、強引な買収、最終的には粉飾――という末路を辿った。それと同じことを、現ライブドアの旧経営陣がやっていたという疑いがもたれているんだけれど、あの2006年1月の「ライブドアショック」が起きた時、「うわ、何かこれ本当に因果だな」と思いましたね。

小池:それで、当時の社員たちは?

前刀氏

前刀:最後の1人まで就職の世話をしました。何カ月もかかった人もいましたけど、とにかく自分のつてを使って。全員再就職することができて良かった。当時のライブドア社員は今でも最高の仲間たちです。

小池氏

小池:それが本当に起業するということだと思います。もちろん成功したら成功したで、果実は創業者利益ということで得られて当然だと思うけど、やっぱりリスクを共有化して、資金を調達した本人として最後までの身の処し方とか責任の取り方というのもぴしっとできる起業家というのはなかなかいないでしょうね。

 アメリカでも日本でも、ドットコムバブル崩壊後にそこまでちゃんと責任を取ってきちっと処理した起業家って、そんなにいないんじゃないかな。

 で、民事再生処理をした後ですが、あの時にちょっと話してくれたことってあったじゃないですか。「非ITで、もうちょっと社会的にも意義のあることをしたい」って。でもそれをすぐにやらないで、Appleのオファーを受けたわけじゃないですか。それは何か理由があったんですか。

前刀:実はもう1個別件がファイナルステージまで進んでいた時に、Appleからオファーがあった。「雇われには興味ないし」みたいな気持ちでAppleに職務内容を「マーケティングの責任者ですか」と聞くと、「今回お願いするのは、マーケティングVPであってコーポレートのVPでもある、今までになかった特別なポジション。これを新たに作って、日本を本当にテコ入れしないといけないと思っている」と言うので、話を聞くだけ聞いてみようということになった。それが最終的には3月にスティーブ・ジョブスに会って、彼から即OKをもらったわけです。

 Appleを選んだことの1つには、当時のAppleが駄目駄目だったということもあるよね。僕が最初に買ったパソコン(PC)はMacのSEで、当時は60万とか70万とかしてメモリも2メガしかなかった(笑)。でも僕は、そんなMacを使い続け、知らず知らずのうちに愛着を持っていた。そんなAppleがこのままいくと日本から消えちゃうかもしれない――。

 さらに新たに投入されたiPodも単なるPC周辺機器の1つという位置づけで不発だった。でも、iPod miniが発表されたり、「うまくやればひょっとしたら日本でブレイクするかもしれない」という感覚があって、そこにちょっと、駄目なものを見ると立ち上げたいなという気持ちもあり(笑)。そんな気持ちかな、Appleを選んだのは。そして、日本におけるAppleブランドを復活させたいと思ったんだ。

小池:Appleというのはすごく特殊なブランドというか会社だからね。僕もアンチMS派の牙城だった西海岸にいたから、「唯一の守るべきシンボル」みたいな感覚は分かるな。昔から憎めない愛着のあるブランドだったよね。

前刀:だから、iPod miniをきっかけに大ブレイクさせていくシナリオを、入社する前から考えていた。「やっぱりこれはファッションアイテムだ」というのもあって、バーニーズのディスプレーなんかでも洋服とコーディネートしたのを知っているかもしれないけれど、あれなんか実はAppleに入る数カ月前に考えた話。バーニーズのクリエイティブディレクターに話をして、「今度ひょっとすると面白い会社に入るので、ぜひ一緒にやりましょう」ってすでに仕込んであったんだ。

 あとはiPod miniを常に必ず5色持ち歩いて、ターゲットは女性だろうなっていうので、いろんな女の子に見せて反応を見ていた。やっぱり最初の反応は「かわいい」とか「何、これ」というのがほとんど。「実は、これ音楽が聞けるんだよ」っていう話をすると、みんな「ええ?」ということになって、さらに「1000曲も入るんだよ」ってたたみかけると、「ええ? すごい!!」ということになる。

 これでファッションアイテムとして成功することの確信を得て、さまざまなアプローチをしかけていった。

小池:僕らウォークマン世代のことを思い出しても、基本的に女子大生あたりが持ち歩いて、ある意味ファッションの一部みたいなところもあったよね。

前刀:もう1個概念を変えたのは、当時、Appleの人間が「iPodは液晶ディスプレイのリモコンが付いていないから売れないんですよ」と、本体をかばんの中に突っ込んでリモコンで操作するスタイルを想定していた。でも僕は「違う。これは片手で操作できるクリックホイールという極めて優れたインターフェースがある。これを手に持って、カラフルだし、人前でその使用感を自慢して見せて聞くものなんだ」という意識改革をした。だからまさに、むしろ本体を見せることにフォーカスした。

 iPod miniの実物大のプラスティックカードを渋谷の路上に貼ったアプローチなんかは、日本オリジナルのものだったんだよね。

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