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黒田熊之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
黒田熊之助
時代 安土桃山時代
生誕 天正10年(1582年
死没 慶長2年(1597年
墓所

崇福寺福岡市博多区

圓應寺
氏族 黒田氏
父母 父:黒田孝高(官兵衛・如水)
母:櫛橋光(幸圓、照福院。櫛橋伊定娘)
兄弟 長政熊之助
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黒田 熊之助(くろだ くまのすけ)は、安土桃山時代の人物。黒田孝高の次男。

生涯

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天正10年(1582年)、黒田孝高と正室の次男として播磨国姫路にて生まれる。兄に黒田長政がいる。

慶長2年(1597年)7月、豊前中津城で留守中、兄、長政の朝鮮出兵(慶長の役)に加われなかったことを嘆き、中津城から抜け出し秘密裏に朝鮮へ渡る途中、が嵐にあい転覆、16歳で死去した。その時、一緒に船出した家臣の子、母里吉太夫母里友信嫡男)、加藤吉松黒田一成弟)、木山紹宅の3人も一緒に溺死した。死後、母の光は自身が創建した圓應寺福岡市中央区)に熊之助の霊を弔った。のち崇福寺(福岡市博多区)にも墓碑が建立された。

関連作品

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