高野宗雄
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高野 宗雄(たかの むねお、1907年(明治40年)12月1日[1] - 1989年(平成元年)9月25日[1])は、日本の政治家、第4、5期魚津市長(1964年 - 1972年)、新川信用金庫理事、新開発公社理事長を歴任。
略歴
[編集]1907年(明治40年)12月1日、富山県に生まれる。1930年(昭和5年)に法政大学経済学部を卒業し[2]、東京建物に入社する。1954年(昭和29年)魚津市監査委員[2]、1960年(昭和35年)同教育委員委員を経て[2]、1964年(昭和39年)4月に魚津市長選挙に出馬し、当選する( - 1972年(昭和47年)5月)[3]。
在任中は白倉小学校組合管理者、家事・民事調停委員、衛生処理組合管理者、魚津市開発公社理事長、新川育成牧場組合管理者、新川広域圏事務組合理事長、市体育協会会長などを兼任した[2]。
市長就任後にごみ焼却場の完成、小中学校校舎の増改築や小学校の統合を実施した[2]。さらに新市庁舎の落成、農協の合併、家畜市場の建設、育成牧場の開場などを進めた[2]。
その一方、1969年(昭和44年)には集中豪雨で魚津市に14億円余りの損害が発生した[2]。
1989年(平成元年)9月25日 、 死去(81歳)。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『法政大学校友名鑑』(法政大学校友名鑑刊行会、1941)
- 『現代物故者事典』(紀伊国屋書店)
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1983年。