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高橋義治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たかはし よしはる

高橋 義治
生誕 (1916-06-06) 1916年6月6日
長崎県平戸市
死没 (1986-07-16) 1986年7月16日(70歳没)
東京都
国籍 日本の旗 日本
出身校 法政大学経済学科
職業 実業家
子供 高橋治之高橋治則
高橋猪之助
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高橋 義治(たかはし よしはる、1916年大正5年)6月6日 - 1986年昭和61年)7月16日)は、日本実業家。全国朝日放送(テレビ朝日)取締役[1]イ・アイ・イグループ(EIE)代表取締役会長[1][2]、慈悲庵、まどか保育園各理事[3]等を務めた。

戦後のモノ不足の時代に輸入物資を売りさばいて財を築いた[2]。いくつかの事業を手がけた後に、日本教育テレビ(NET)の設立に関わり、取締役に就任した[2]電通顧問高橋治之イ・アイ・イグループ代表の高橋治則は息子。

来歴・人物

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長崎県・高橋猪之助の長男[3]。高橋家は江戸時代平戸松浦藩藩士だった[4]

法政大学経済学科卒業[3]。戦前はいわゆる満州浪人で[5]1941年(昭和16年)東満洲産業秘書課を経て、鉄鋼原料統制会に勤務する。

NET入社

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1946年(昭和21年)東洋物産常務[3]1952年(昭和27年)SKB鉄砲販売常務となる。その後、映画放送業界紙『中央通信』を始め[5]東映系の人間として、1957年(昭和32年)日本教育テレビ創立事務所に入社。技術部長を手始めに、開局時には総務局次長として資材関係を仕切る[5]。社長の赤尾好夫とは、鉄砲狩猟仲間で親しくなった[5]。義治はコンバータUHFコンバータ)の特許を持っていて、北海道テレビ放送(HTB)社長の岩澤靖(次男・治則の岳父)と組んで、製造・販売し大儲けした。コンバータは、「SI(シングル・イワサワ)」と名付けられ、岩澤グループ社員が大量動員され、広大な北海道で売りまくる取り付け作戦を展開した[6]

1968年(昭和43年)11月、岩澤のHTBはNETをキー局U波の第1号局として、本放送を開始するが[7]、弱小ネットのNETにとっては2局目のフルネットとなり大きな橋頭堡となった[7]。この功績から取締役に選任され[3][7]、コンバータで一財産を築き羽振りがみるみる良くなり[7]、NETに勤めていながら数寄屋橋に個人事務所も構えた[5]

EIE社長

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技術、業務関係の局長を務めていた時、NETにテープを納めていたのが、EIEだった[8]。ところが、この会社は景気が悪くて、にっちもさっちも行かなくなって、義治にやってくれないかと頼んできた[8]。相談を受けた長男・治之は、「治則が政治家になるためにビジネスをすると言っていたから、2人でやったら」と返事をした[9]1977年(昭和47年)3月、EIEの社長に義治、副社長に治則が就任した[8]。ほかに高級リゾート「ベルハンドクラブ」社長を務めた[1]

1986年、東京都にて死去[1]

趣味は旅行写真ゴルフ[3]宗教禅宗[3]

住所は東京都品川区小山[3]。長崎県平戸市在籍[3]

家族・親族

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高橋家

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(長崎県平戸市[3]、東京都目黒区[10]品川区小山[3]世田谷区用賀[11]
大正8年(1919年)8月生[3] - 平成21年(2009年)10月没[11]
昭和19年(1944年)4月生[3] -
昭和20年(1945年)10月生[3] - 平成17年(2005年)7月没
2005年7月18日死去した[12]。死因はくも膜下出血[12]。59歳だった[12]。旧東京協和・安全の2つの信用組合の乱脈融資事件で、背任の罪に問われていた[12]
  • 弟・康夫(実業家、TBS元総務局次長、シーコム常勤監査役)[13]
昭和3年(1928年)2月生[13] -?

親戚

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脚注

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  1. ^ a b c d 『朝日新聞』1986年7月18日東京朝刊23頁
  2. ^ a b c 『真説 バブル』46ページ
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)た一二六
  4. ^ 『真説 バブル』44-45ページ
  5. ^ a b c d e 中川 2019, p. 49.
  6. ^ 中川 2019, p. 98.
  7. ^ a b c d 中川 2019, p. 99.
  8. ^ a b c 田崎 2012, p. 134.
  9. ^ 中川 2012, p. 134.
  10. ^ 『真説 バブル』45ページ
  11. ^ a b 高橋朝子さん死去/高橋治之電通顧問の母
  12. ^ a b c d リゾート王・高橋治則氏の死、未完のバブル再検証
  13. ^ a b 人事興信錄』人事興信所、1995年https://books.google.com/books?id=0PBMAQAAIAAJ&newbks=0&printsec=frontcover&pg=PP2587&dq=%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%BA%B7%E5%A4%AB%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%A0&hl=ja 

参考文献

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  • 日経ビジネス編集部『真説 バブル』日経BP社、2000年12月。ISBN 978-4822242145 
  • 田崎健太『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』光文社新書、2016年2月。ISBN 978-4334039035 
  • 中川一徳『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』講談社、2019年12月。ISBN 978-4065180877