飯野城
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飯野城 (宮崎県) | |
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本丸と本丸に残る土塁 | |
別名 | 亀城、鶴亀城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 建造されず |
築城主 | 日下部氏 |
築城年 | 平安時代末期 |
主な改修者 | 北原氏 |
主な城主 | 日下部氏、北原氏、島津氏 |
廃城年 | 元和元年(1615年) |
遺構 | 土塁、堀、虎口、石垣 |
指定文化財 | えびの市指定史跡[1] |
位置 | 北緯32度3分16.41秒 東経130度52分8.63秒 / 北緯32.0545583度 東経130.8690639度 |
地図 |
飯野城(いいのじょう)は、宮崎県えびの市飯野にあった日本の城(山城)。別名亀城・鶴亀城。現在は亀城公園。えびの市指定史跡[1]。
概要
[編集]比高50メートルの河岸段丘上にあり、城の南方は川内川に面して、また東方と西方もその支流が流れいずれも険崖になっており、北方は押建山が壁の役割を果たす要害の城。
本丸・二の丸・三の丸に加え、見張り台・桝形・弓場と呼ばれる郭が存在した。また、10メートルほどであるが石垣が遺構として残されている。
歴史
[編集]永暦元年(1160年)に日下部重貞が真幸院司に就任し、真幸院守護の目的で築き居城としたが、その日下部氏が没落すると、康永4年(1345年)に北原兼幸が真幸院司に就任し居城とした。
永禄7年(1564年)、その北原氏も滅ぶと今度は島津氏の所有となり、島津貴久の次男・島津義弘の居城となった。
天正15年(1587年)に義弘の嫡男・島津久保の居城となるが、久保は文禄の役に参加中の文禄2年(1593年)に病死する。