コンテンツにスキップ

飛山一男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

飛山 一男(とびやま かずお、1925年大正14年)2月20日 - 2015年平成27年)10月23日)は、日本実業家[1]いすゞ自動車社長(1984年[1] - 1992年[2])、会長を務めた[1]

経歴・人物

[編集]

長野県の生まれ[1]。山梨工業専門学校(現在の山梨大学)卒業後、1946年(昭和21年)にいすゞ自動車(当時の社名はヂーゼル自動車)に入社する[1]

軽自動車の研究や開発に携わり[1]、後にアメリカ合衆国の自動車メーカーゼネラルモーターズと連携する等[1][2]、戦後の自動車における日米関係の良化に貢献した。1984年(昭和59年)にいすゞ自動車社長に就任し[2]、1992年(平成4年)までその職にあたった[1][2]1991年(平成3年)には会長職に就任した[2]

勲章

[編集]

著書

[編集]
  • 『我がくるま人生』
  • 『八ヶ岳山荘―飛山一男句集』

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『飛山一男』- コトバンク
  2. ^ a b c d e いすゞ元社長 飛山一男氏死去 - NewsPicks2015年11月4日号。
先代
岡本利雄
いすゞ自動車社長
1984年 - 1992年
次代
関和平