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青沼 勘右衛門(あおぬま かんえもん、? - 元禄14年11月25日(1701年12月24日[1]))は、江戸時代前期の馬術家[2]。初め半助[3]。名は盛明[2]。
陸奥弘前藩士[2]。先祖は武田信玄の家臣青沼助兵衛、父は青沼藤兵衛[3]。
三代藩主津軽信義の時、慶安2年(1649年)に馬役として召し出され、大坪流馬術を父や梅田理右衛門から、神道流を花井荘左衛門から学ぶ[3]。父の死後、明暦4年(1658年)馬役を継ぎ、のち馬術師範となる[2]。延宝9年(1681年)には江戸で前田綱紀の暴れ馬を乗りこなし、賞される[2]。