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青山幸豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
青山幸豊
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 明暦2年(1656年
死没 享保5年3月4日1720年4月11日
別名 百助、藤右衛門
官位 従五位下信濃守
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
氏族 青山氏
父母 青山幸正大炊御門経孝
兄弟 幸豊宮崎重清
大久保忠高大久保忠重
森川俊英室、幸亮
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青山 幸豊(あおやま よしとよ)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本官位従五位下信濃守三河国西広瀬領主。

生涯

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明暦2年(1656年)、青山幸正の子として誕生した。貞享3年(1686年)7月10日、家督を継ぐ。書院番頭小姓組頭を歴任し、元禄7年(1694年)3月28日、伏見奉行となり三河加茂郡内1000石を加増される。元禄9年(1696年)1月15日、駿府城代となり、翌年加茂郡内で1000石をさらに加増され5000石を領す。

享保5年(1720年)、在職中に死去した。子の幸亮が家督を継いだ。

系譜

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