青山幸豊
表示
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
---|---|
生誕 | 明暦2年(1656年) |
死没 | 享保5年3月4日(1720年4月11日) |
別名 | 百助、藤右衛門 |
官位 | 従五位下・信濃守 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川綱吉、家宣、家継、吉宗 |
氏族 | 青山氏 |
父母 | 青山幸正、大炊御門経孝娘 |
兄弟 | 幸豊、宮崎重清室 |
妻 | 大久保忠高娘、大久保忠重娘 |
子 | 森川俊英室、幸亮 |
青山 幸豊(あおやま よしとよ)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。官位は従五位下・信濃守。三河国西広瀬領主。
生涯
[編集]明暦2年(1656年)、青山幸正の子として誕生した。貞享3年(1686年)7月10日、家督を継ぐ。書院番頭、小姓組頭を歴任し、元禄7年(1694年)3月28日、伏見奉行となり三河加茂郡内1000石を加増される。元禄9年(1696年)1月15日、駿府城代となり、翌年加茂郡内で1000石をさらに加増され5000石を領す。
享保5年(1720年)、在職中に死去した。子の幸亮が家督を継いだ。