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雑賀崎城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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雑賀崎城
和歌山県
城郭構造 丘城[1]
築城主 伝・鈴木孫市
築城年 天正8年(1580年)?
遺構 なし[1]
位置 北緯34度11分29.8秒 東経135度08分43.0秒 / 北緯34.191611度 東経135.145278度 / 34.191611; 135.145278座標: 北緯34度11分29.8秒 東経135度08分43.0秒 / 北緯34.191611度 東経135.145278度 / 34.191611; 135.145278
地図
雑賀崎城の位置(和歌山県内)
雑賀崎城
雑賀崎城
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雑賀崎城(さいかざきじょう)は、和歌山県和歌山市雑賀崎にあったとされる日本の城

概要

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鈴木孫市が築いたとされ、その石垣の一部が残る[2]天正8年(1580年)に石山本願寺を追われた教如を守るため、鈴木孫市が石垣を築いたとの言い伝えがある[3]。雑賀崎には和歌山県の天然記念物に指定されている断崖絶壁「鷹の巣」があり[4]、教如は鷹の巣内の洞窟(「上人窟」[5]や「上人の窟」[4]と呼ばれる)に10日ほど身を潜め、織田信長の追跡から逃れたとされている[3][5]

この付近には、教如を守るため土塀が築かれたと伝わる場所もあり、「ドンベ」と呼ばれている[3]。また、石垣のある場所は「城の内」と呼ばれている[3]。しかし、織田信長から身を隠す教如のために石垣や土塀を築くような目立つことをするとは考えにくいとし、石垣や土塀は幕末に鷹の巣の山上に遠見番所が設けられた際に築かれたとする見方がある[3]

脚注

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  1. ^ a b 和歌山城郭調査研究会 編「和歌山県中世城館一覧表」『戦国和歌山の群雄と城館』戎光祥出版〈図説 日本の城郭シリーズ12〉、2019年、260頁。ISBN 978-4-86403-311-4 
  2. ^ 相賀徹夫 編「和歌山県城址一覧(紀伊国)」『近畿の城』小学館〈探訪ブックス〔城5〕〉、1981年、314頁。全国書誌番号:81019248 
  3. ^ a b c d e 貴志康親『雑賀党物語』国書刊行会、1976年、113–116頁。全国書誌番号:73016322 
  4. ^ a b 鷹の巣”. 和歌山市の文化財. 和歌山市 文化振興課. 2024年12月17日閲覧。
  5. ^ a b 和歌山市史編纂委員会 編『和歌山市史 第1巻 自然・原始・古代・中世』和歌山市、1991年、999–1001頁。全国書誌番号:92017003 

関連項目

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