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金川郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黄海北道 金川郡
郡内を流れる礼成江の支流・吾助川
位置
各種表記
チョソングル: 금천군
漢字: 金川郡
日本語読み仮名: きんせんぐん
片仮名転写: クムチョン=グン
ローマ字転写 (MR): Kŭmch'ŏn-gun
統計(2008年
面積: 497.67 km2
総人口: 68,216 人
人口密度: 137.07 人/km2
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
上位自治体: 黄海北道
下位行政区画: 1邑14里
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金川郡(クムチョンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国黄海北道に属する郡。

地理

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黄海北道の南部、礼成江流域に位置する。

行政区画

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1邑・14里を管轄する。

  • 金川邑(クムチョヌプ)
  • 江南里(カンナムニ)
  • 江北里(カンブンニ)
  • 鶏井里(ケジョンニ)
  • 南亭里(ナムジョンニ)
  • 徳山里(トクサンニ)
  • 両合里(リャンハムニ)
  • 龍城里(リョンソンニ)
  • 文明里(ムンミョンニ)
  • 白馬里(ペンマリ)
  • 白陽里(ペギャンニ)
  • 新江里(シンガンニ)
  • 円明里(ウォンミョンニ)
  • 月岩里(ウォラムニ)
  • 峴内里(ヒョンネリ)

歴史

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前近代

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三国時代には百済、のちに高句麗の版図であった。統一新羅時代には牛峰県とされ、漢州に属した。高麗王朝成立後の995年、関内道の所属の県となる。1015年、西海道平州に編入される。1061年には開城府に編入された。

朝鮮王朝成立後の1395年、豊海道(のちに黄海道)牛峰県となる。1652年、黄海道牛峰県と開城府江陰県が合併され、黄海道金川郡に改編された。

近代

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1895年には地方制度改革によって金川郡と兎山郡が分離され、開城府に属した(二十三府制)。翌1896年には黄海道所属となった(十三道制)。日本統治下の1914年、兎山郡が廃止され、その大部分が金川郡に編入された。1943年現在、13・110が所属した。

  • 金川面 - 금천면【金川面】 (クムチョン=ミョン)
  • 古東面 - 고동면【古東面】 (コドン=ミョン)
  • 西北面 - 서북면【西北面】 (ソブク=ミョン)
  • 山外面 - 산외면【山外面】 (サヌェ=ミョン)
  • 牛峰面 - 우봉면【牛峰面】 (ウボン=ミョン)
  • 雄徳面 - 웅덕면【雄德面】 (ウンドク=ミョン)
  • 左面 - 좌면【左面】 (チャ=ミョン)
  • 西泉面 - 서천면【西泉面】 (ソチョン=ミョン)
  • 外柳面 - 외류면【外柳面】 (ウェリュ=ミョン)
  • 兎山面 - 토산면【兎山面】 (トサン=ミョン)
  • 合灘面 - 합탄면【合灘面】 (ハプタン=ミョン)
  • 口耳面 - 구이면【口耳面】 (クイ=ミョン)
  • 峴内面 - 현내면【峴內面】 (ヒョンネ=ミョン)

現代

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1947年、長豊郡から北面を編入。1950年、西北面と山外面を延安郡に移管し、12面・103里に再編した。

1952年12月に行われた郡面里統廃合に伴い、牛峰・金川・古東・北・雄徳面全域と冬火面の一部(1里)、長豊郡嶺北面の一部(3里)・西南面の一部(1里)、平山郡平山面の一部(2里)を併せ、金川郡(1邑16里)が再編され、旧金川面にが置かれた。旧金川郡のうち、外柳・合灘・左・口耳面の全域と兎山面の一部(10里)を兎山郡に、冬火面の5里を平山郡に、兎山面の一部(3里)を江原道鉄原郡にそれぞれ移管した。

2002年10月現在、1邑14里が置かれている。

年表

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この節の出典[1]

  • 1652年 - 黄海道牛峰県と開城府江陰県が合併され、金川郡が設置される。
  • 1895年 - 兎山郡と併合され、開城府に属する金川郡となる(二十三府制)。
  • 1896年 - 黄海道所属となる(十三道制)。管下に15面があった:郡内面・九水面・峴内面・馬山面・右面・北面・西面・東面・古東面・合灘面・好賢面・左面・山外面・冬火面・口耳面。
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、兎山郡(美原面を除く)および平山郡金岩面が金川郡に編入。金川郡に以下の面が成立。(15面)
    • 金郊面・峴内面・白馬面・西北面・古東面・合灘面・好賢面・左面・山外面・冬火面・口耳面・月城面・西泉面・外柳面・宿仁面
  • 1929年 - 金郊面が金川面に改称。(15面)
  • 1939年 (12面)
    • 白馬面および峴内面の一部が合併し、牛峰面が発足。
    • 好賢面・冬火面が合併し、雄徳面が発足。
    • 月城面・宿仁面が合併し、兎山面が発足。
    • 峴内面の残部が金川面に編入。
  • 1945年8月(光復直後) (17面)
    • 雄徳面の一部が分立し、冬火面が発足。
    • 京畿道開豊郡嶺北面および嶺南面・北面・土城面の各一部(開豊郡の38度線以北の地域)を編入。
  • 1945年11月 - 嶺北面・嶺南面・北面・土城面が長豊郡に編入。(13面)
  • 1947年 - 長豊郡北面を編入。(14面)
  • 1950年 - 西北面・山外面が延白郡に移管。(12面)
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、黄海道金川郡牛峰面・金川面・古東面・北面・雄徳面および冬火面の一部、長豊郡嶺北面・小南面の各一部、平山郡平山面の一部地域をもって、金川郡を設置。金川郡に以下の邑・里が成立。(1邑16里)
    • 金川邑・南亭里・龍城里・白馬里・峴内里・円明里・文明里・月岩里・徳山里・鶏井里・江北里・礪峴里・山城里・江南里・両合里・白陽里・新江里
  • 1954年10月 - 黄海道の分割により、黄海北道金川郡となる。(1邑16里)
    • 江南里の一部が礪峴里に編入。
  • 1960年3月 - 山城里の一部が開城直轄市長豊郡月古里に編入。(1邑16里)
  • 1961年3月 (1邑14里)
    • 礪峴里および江南里の一部が開城直轄市開豊郡に編入。
    • 山城里が開城直轄市長豊郡に編入。

交通

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鉄道

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脚注

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外部リンク

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