酒井右京
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時代 | 江戸時代後期 - 末期(幕末) |
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生誕 | 文化4年1月29日(1807年3月7日) |
死没 | 慶応3年9月11日(1867年10月8日) |
改名 | 酒井了繁 |
別名 | 金剛若、元松、吉之丞(允)、玄蕃、幽園 |
墓所 | 山形県鶴岡市新海町の安国寺 |
主君 | 酒井忠器→忠発→忠寛→忠篤 |
藩 | 出羽庄内藩中老→家老 |
氏族 | 酒井氏 |
父母 | 父:酒井了安 |
兄弟 | 了繁、了明 |
妻 | 正室:千代 |
酒井 右京(さかい うきょう)は、江戸時代の出羽庄内藩家老。
藩政改革のために藩主酒井忠発を廃そうと企てるが、計画が失敗して逮捕され、切腹を命ぜられた。
略歴
[編集]- 1807年1月29日、庄内藩の組頭酒井了安の次男として鶴岡に生まれる。
- 1820年、父了安から1,300石の家督を相続する。
- 1838年、庄内藩の中老となる。
- 1844年、庄内藩の家老となる。
- 1849年、弟の了明に家督を譲る。
- 1853年、忠発の隠居と忠恕(忠発の嫡男)の家督相続を求める陳情書を老中阿部正弘に提出する。
- 1864年、陳情書を老中稲葉正邦に提出する。
- 1866年、藩政改革派の陰謀が発覚し逮捕される。
- 1867年9月11日、改革派の首領として切腹を命ぜられ死去する。享年61。
出典・参考文献
[編集]- 『庄内人名辞典』