足立愛蔵
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足立 愛蔵 | |
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生誕 |
1863年7月5日 阿波国 徳島藩 |
死没 | 1932年2月23日(68歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1883年 - 1917年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
足立 愛蔵(足立 愛藏、あだち あいぞう、文久3年5月20日(1863年7月5日) - 1932年(昭和7年)2月23日[1])は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将[2]。位階勲等功級は正四位勲二等功三級[3]
人物
[編集]阿波国(徳島県)出身[2]。1883年(明治16年)12月25日、陸軍士官学校旧6期卒業[1][4]。 のち1891年(明治24年)11月28日、陸軍大学校第7期卒業[2]。
野砲兵第11連隊長、第9師団参謀長などを歴任し[4]、1906年(明治39年)7月6日、第12師団参謀長に補され[2]、1909年(明治42年)1月14日、に陸軍少将となり、澎湖島要塞司令官、台湾総督府陸軍参謀長、野戦砲兵第3旅団長を歴任した[2]。1914年(大正3年)5月11日、陸軍中将に任官[2]。旅順要塞司令官等を務めた。1917年(大正6年)1月17日、予備役編入[2]。
栄典
[編集]- 位階
- 1884年(明治17年)2月9日 - 正八位[5]
- 1889年(明治22年)7月15日 - 従七位[6]
- 1895年(明治28年)9月20日 - 従六位[7]
- 1903年(明治36年)3月30日 - 従五位[8]
- 1908年(明治41年)5月11日 - 正五位[9]
- 1913年(大正2年)5月30日 - 従四位[10]
- 1917年(大正6年)2月10日 - 正四位[11]
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b 『日本陸軍将官辞典』28頁。
- ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官総覧』新人物往来社
- ^ 『陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿』、昭和2年4月1日調。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』67-68頁。
- ^ 『官報』第204号「賞勲叙任」1884年3月7日。
- ^ 『官報』第1820号「叙任及辞令」1889年7月24日。
- ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
- ^ 『官報』第5920号「叙任及辞令」1903年3月31日。
- ^ 『官報』第7460号「叙任及辞令」1908年5月12日。
- ^ 『官報』第250号「叙任及辞令」1913年5月31日。
- ^ 『官報』第1357号「叙任及辞令」1917年2月12日。
- ^ 『官報』第700号「叙任及辞令」1914年12月1日。
参考文献
[編集]- 『日本陸軍将官総覧』新人物往来社
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。