貝文土器
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貝文土器(かいもんどき)は、縄文時代草創期・早期の南九州で作られていた、貝殻による模様「貝文」をつけた土器である。
貝殻文土器に代表される文化を貝文文化または貝殻文土器文化と呼び[要出典]、縄文土器に代表され東日本を中心とした縄文文化とは区別される。
地域・時期
[編集]九州本島の九州脊陵山脈以南(熊本県南部、宮崎県南部、離島を除く鹿児島県全域)、大隅諸島(種子島、屋久島)に分布する。鹿児島県霧島市の上野原遺跡が代表的な遺跡である。
貝文文化は約7300年前の鬼界カルデラの噴火(K-Ah)で滅亡した。この噴火により、時代区分は縄文時代早期から縄文時代前期となる。
特徴
[編集]貝殻文土器には、貝殻を押し付けた模様や、貝殻で引かれた幾何学模様などが描かれている。平底で、シンプルな円柱・角柱形をしている。
一方、日本の他の地域では初期の縄文土器が作られていた。当時の縄文土器は底が尖っており、平底のものが作られたのは縄文時代前期になってからで、形も装飾的なものが多い。それゆえ、貝殻文土器はかつては縄文時代前期の土器と思われていた。
参考文献
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- 金田功「貝殻文様ある亀ヶ岡土器」『先史時代』第3巻、先史学同好会、1956年5月、20-21頁、doi:10.24484/sitereports.124335-81032。
- 大場利夫「住吉町式土器をめぐる貝殻文土器文化の展開」『民族學研究』第26巻第1号、日本民族学会、1961年12月、39-46頁、ISSN 00215023。
- 小笠原忠久「函館市石崎町出土の早期縄文土器 新型式の尖底貝殻文土器」『檜山考古学研究会会誌』第3巻、檜山考古学研究会、1-4頁、doi:10.24484/sitereports.127260-106747。
- 雨宮瑞生, 松永幸男「縄文早期前半・南九州貝殻文円筒形土器期の定住的様相」『古文化談叢』第26巻、九州古文化研究会、1991年12月、135-150頁、doi:10.24484/sitereports.119837-70365。
- 黒川忠広「南九州貝殻文系土器に見られる地域性について」『研究紀要』第2巻、鹿児島県立埋蔵文化財センター、2004年3月、11-18頁、doi:10.24484/sitereports.114717-23563、ISSN 21886644。
- 遠部慎「円筒形貝殻文土器群の炭素14年代測定」『南九州縄文通信』20(下)、南九州縄文研究会、2009年9月、141-153頁、doi:10.24484/sitereports.126608-97990。