西阿知町
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にしあちちょう 西阿知町 | |
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廃止日 | 1953年1月1日 |
廃止理由 |
編入合併 西阿知町→倉敷市(初代) |
現在の自治体 | 倉敷市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 浅口郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 5,136 km2. |
総人口 |
5,142人 (倉敷市・市の沿革、1953年) |
隣接自治体 | 倉敷市、浅口郡船穂町・連島町 |
西阿知町役場 | |
所在地 | 岡山県浅口郡西阿知町 |
座標 | 北緯34度35分13.8秒 東経133度43分35.9秒 / 北緯34.587167度 東経133.726639度 |
ウィキプロジェクト |
西阿知町(にしあちちょう)は、かつて岡山県浅口郡にあった町である。1953年(昭和28年)1月1日に倉敷市に編入され廃止された。現在は同市の西阿知地区となっている。ここでは、町制施行前の名称である河内村および改称前の河内町についても述べる。
概要
[編集]古代には吉備の穴海と呼ばれる海域で、高梁川の当時の河口沖であった。その後、高梁川の運ぶ土砂の堆積作用により、干潮時は干潟が広がるようになり、阿智潟(あちのかた)と呼ばれるようになった[1]。
1926年に高梁川の改修工事が完了するまでは、東西の高梁川に挟まれた地域内で、その中の西側に位置していた[1]。
明治35年9月30日に西阿知村・甲内村が合併して河内村となり、現在の範囲が確定。大正11年の町制施行を経て、同15年1月1日に西阿知町に改称した。これは、河内の地名の由来が東西の高梁川の間に位置することであったが、前述の高梁川改修工事のより東高梁川が廃川となり「河内」の地形でなくなったためである[2]。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)6月1日 - 浅口郡西阿知村・西阿知新田村が合併して西阿知村、同郡片島村・西原村が合併して甲内村を新設。
- 1891年(明治24年)7月 - 山陽鉄道が開通。
- 1902年(明治35年)9月30日 - 浅口郡西阿知村・甲内村が合併して河内村を新設。
- 1920年(大正9年)5月25日 - 西阿知駅が開業。
- 1922年(大正11年)1月1日 - 町制施行により河内町へ改称。
- 1926年(大正15年)1月1日 - 高梁川の改修工事竣工により、町名を西阿知町へ改称。
- 1953年(昭和28年)1月1日 - 倉敷市(初代)へ編入合併する。
- 1967年(昭和42年)2月1日 - 倉敷市(初代)・児島市・玉島市が合併し、倉敷市(2代)を新設。
- 1985年(昭和60年)11月13日 - 国道2号玉島バイパスの高架化、および高梁川大橋が暫定2車線で完成する。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『西阿知町史』 著・編;西阿知町史編纂委員会 1954年(昭和29年)11月
- 『岡山県市町村合併誌 市町村編』(昭和35年)岡山県
- 巌津政右衛門『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社
- 岡山県大百科事典編集委員会『岡山地名事典』(1979年)山陽新聞社
- 渡辺光・中野尊正・山口恵一郎・式正英『日本地名大辞典2 中国・四国』(1968年)朝倉書店
- 下中直也『日本地名大系第三四巻 岡山県の地名』(1988年)平凡社
- 黒田茂夫『県別マップル33 岡山県広域・詳細道路地図』(2010年)昭文社