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西村俊二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西村 俊二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県糟屋郡須恵町
生年月日 (1947-05-21) 1947年5月21日
没年月日 (2015-04-02) 2015年4月2日(67歳没)
身長
体重
175 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1969年 ドラフト3位
初出場 1970年
最終出場 1980年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

西村 俊二(にしむら しゅんじ、1947年5月21日 - 2015年4月2日)は、福岡県出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物

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福岡工業高から福岡工業大学へ進み、中退して社会人野球河合楽器に入社。好守好打の内野手として知られ、1968年都市対抗では上垣内誠佐藤正治らと強力打線を組み決勝に進出。しかし富士鐵広畑神部年男岡田光雄の継投の前に0-1で完封負けを喫する[1]。同年のプロ野球ドラフト会議西鉄ライオンズから12位で指名されるが、入団を拒否。1969年都市対抗でも準決勝まで進むが、エース若宮秀雄を擁する電電関東に惜敗[1]。同年のプロ野球ドラフト会議近鉄バファローズから3位指名を受け入団した。

1973年には、6月から関根知雄に代わり遊撃手のレギュラーを獲得、69試合に先発出場を果たす。1975年石渡茂が台頭し定位置を譲るが、1977年には二塁手に回り、自己最多の118試合に出場した。1978年クリス・アーノルドが新入団、1979年には永尾泰憲が移籍入団し、出場機会が減少するが、近鉄初のリーグ優勝を経験。翌年もチームは2年連続でリーグ優勝したが、この年を最後に引退した。

引退後は、会社員を経て近鉄でスカウトとして活動。九州地区で村上隆行山下和彦などを獲得。その後はオリックス・バファローズでスカウト副部長を務めていた。

2015年4月2日死去。67歳没。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1970 近鉄 53 88 82 7 15 4 0 1 22 3 2 0 3 0 2 0 1 19 2 .183 .212 .268 .480
1971 35 22 19 3 2 0 0 0 2 1 0 1 1 0 2 0 0 3 0 .105 .190 .105 .296
1972 52 40 38 6 7 0 0 0 7 3 2 0 0 0 2 0 0 10 0 .184 .225 .184 .409
1973 96 244 217 19 55 9 1 4 78 15 8 2 5 1 19 0 2 28 2 .253 .318 .359 .677
1974 107 274 246 24 56 9 2 3 78 19 7 5 6 2 18 2 2 40 4 .228 .284 .317 .601
1975 102 186 162 14 35 4 3 1 48 20 2 2 9 2 13 0 0 20 8 .216 .271 .296 .567
1976 108 244 216 20 48 9 0 1 60 21 1 1 11 3 11 0 3 34 7 .222 .266 .278 .544
1977 118 326 290 20 61 8 1 2 77 15 3 4 16 0 18 0 2 45 4 .210 .261 .266 .527
1978 116 266 229 21 54 8 2 3 75 22 5 4 13 2 22 0 0 29 4 .236 .300 .328 .628
1979 36 23 19 2 4 1 0 1 8 1 0 0 2 0 2 0 0 6 1 .211 .286 .421 .707
1980 22 23 21 3 5 1 0 0 6 2 0 0 1 0 1 0 0 3 0 .238 .273 .286 .558
通算:11年 845 1736 1539 139 342 53 9 16 461 122 30 19 67 10 110 2 10 237 32 .222 .277 .300 .576

背番号

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  • 34 (1970年 - 1974年)
  • 28 (1975年 - 1980年)

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年