蓮田兵衛
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時代 | 室町時代中期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 寛正3年11月2日(1462年11月23日)[1] |
別名 | 荷田氏?[2] |
氏族 | 不詳 |
蓮田 兵衛(はすだ ひょうえ)は、室町時代中期の土豪。寛正の土一揆の首魁。室町期に発生した徳政一揆の指導者として、最も早くに名が知られる人物である[1][2]。
略歴
[編集]出自は不明で、『新撰長禄寛正記』は「牢人の地下人」としている[1][3]。寛正3年(1462年)9月ごろより京都、続いて奈良で徳政一揆が断続的に蜂起しており、蓮田兵衛は9月11日に蜂起した京都の一揆の大将だった。この一揆は一度沈静化したものの、10月21日に再び蜂起し、諸口を封鎖して東寺を制圧。さらに糺の森に進出して相国寺東門を攻撃し、幕府(花の御所)にまで侵入するかの勢いを見せた。幕府は侍所所司代・多賀高忠、次いで赤松政則ら在京大名に鎮圧を命じた。兵衛は土豪百姓を糾合し一度は赤松勢の攻撃を退けたものの、再度の攻勢によってついに敗走した。一揆衆は離散し、11月2日に兵衛も淀で捕らえられて殺された。2日後に兵衛ら8名の首級が京都に到着し、四塚で獄門に懸けられた[1][2][4][5]。
関連作品
[編集]- 小説
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 今谷明「蓮田兵衛」『朝日日本歴史人物辞典』朝日新聞出版、1994年。ISBN 978-4-02-340052-8。
- 黒川直則「寛正の土一揆」『国史大辞典』 3巻、吉川弘文館、1983年。ISBN 978-4-642-00503-6。
- 佐藤和彦「土一揆」『国史大辞典』 9巻、吉川弘文館、1988年。ISBN 978-4-642-00509-8。
- 「新撰長禄寛正記」『群書類従』 第20輯、八木書店、2013年。ISBN 978-4-8406-3131-0。