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菅野光夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菅野 光夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県那珂郡瓜連町(現:那珂市[1]
生年月日 (1952-08-28) 1952年8月28日
没年月日 (2007-03-22) 2007年3月22日(54歳没)
身長
体重
173 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1974年 ドラフト1位
初出場 1975年4月5日
最終出場 1985年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 日本ハムファイターズ
    北海道日本ハムファイターズ (1986 - 2004)

菅野 光夫(すがの みつお、1952年8月28日 - 2007年3月22日)は、茨城県出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。

経歴

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武相高校では、1970年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、東海大相模に敗退。高校同期にエースの東門明がいた。

卒業後は社会人野球三菱自動車川崎に入社。守備の名手として知られ、1974年都市対抗では東芝の補強選手としてチームの準決勝進出に貢献[2]。同年には全日本選抜メンバーとしてキューバに遠征する。

1975年、日本ハムにドラフト1位で入団[1]1977年には行沢久隆遊撃手の定位置を争い、1979年からは主に二塁手として起用される。1981年日本シリーズでは全試合に出場し、12打数5安打2打点の好記録を残す。1983年までレギュラーを守るが、翌年には五十嵐信一白井一幸にポジションを譲る。

当時の日本ハムは、菅野以外にも1976年に行沢(1979年に西武へ移籍)、1978年には古屋英夫1979年には高代延博と若手内野手を次々と獲得し、彼らの成長が1981年のリーグ優勝をもたらす一要素となった。菅野も内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして、地味ながら優勝に貢献した。

1978年のオールスターゲームではファン投票で遊撃手部門1位となったが、9ポジションのうち8人を日本ハム勢が占めたことが問題となり、三塁手の古屋英夫と共に出場辞退となった。古屋は翌年にオールスター初出場を果たしたが、菅野は結局オールスターに出場できなかった。

1985年に現役引退し、翌年日本ハムの守備走塁コーチに就任[1]2000年には二軍トレーニング兼内野守備コーチ。2005年からは鎌ヶ谷の選手寮「勇翔寮」の寮長を務め、ダルビッシュ有をはじめとした若手の面倒を見続けた。

2007年1月の球団の健康診断で肝機能の数値が高いということを知らされ、2月に検査を受けた。直腸らしきものがあると言われ、3月に再検査をし、直腸癌と確定された。予想以上に癌の進行が早く入院したが、同年3月22日[3]直腸がんによる心不全のため死去[要出典]。54歳没。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1975 日本ハム 75 90 80 3 13 0 0 0 13 4 3 3 7 0 3 0 0 14 0 .163 .193 .163 .355
1976 59 110 98 15 24 5 1 0 31 10 2 4 3 0 7 0 2 17 2 .245 .308 .316 .625
1977 118 233 205 17 38 7 0 0 45 15 7 4 13 3 10 0 2 35 1 .185 .227 .220 .447
1978 92 221 188 24 48 6 2 3 67 15 5 3 10 2 18 0 3 31 4 .255 .327 .356 .683
1979 114 271 233 31 62 10 0 3 81 30 18 7 16 0 18 0 4 27 1 .266 .329 .348 .677
1980 121 362 302 41 69 8 0 12 113 52 11 10 26 2 27 0 5 52 5 .228 .301 .374 .675
1981 116 332 276 22 53 9 1 2 70 14 7 3 31 0 21 0 4 23 0 .192 .259 .254 .513
1982 104 173 147 20 34 7 1 1 46 13 5 3 8 1 15 0 2 14 2 .231 .309 .313 .622
1983 105 198 168 20 40 8 2 0 52 15 9 1 12 3 12 0 3 17 0 .238 .296 .310 .605
1984 61 44 37 6 6 1 0 0 7 0 0 0 5 0 2 0 0 0 1 .162 .205 .189 .394
1985 44 24 18 6 2 0 0 0 2 0 0 1 5 0 1 0 0 4 1 .111 .158 .111 .269
通算:11年 1009 2058 1752 205 389 61 7 21 527 168 67 39 136 11 134 0 25 234 17 .222 .285 .301 .586

記録

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初記録
節目の記録

背番号

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  • 1(1975年 - 1985年)
  • 78(1986年 - 2004年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、286ページ
  2. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  3. ^ “Mitsuo Sugano Japanese Leagues Statistics & History”. Baseball-Reference.com. https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=sugano000mit 2021年10月30日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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