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第70師団 (日本軍)

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第70師団
創設 1942年昭和17年)2月2日
廃止 1945年(昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 寧波-嘉興
編成地 浙江省 寧波
通称号/略称
補充担任 広島師管広島師管区
最終上級単位 第6軍
最終位置 浙江省 嘉興
戦歴 太平洋戦争
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第70師団(だいななじゅうしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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太平洋戦争開戦後に中国に在った独立混成旅団を改編し、占領地の警備と治安維持を目的に編成した治安師団の一つ。1942年(昭和17年)2月に独立混成第20旅団を基幹に、広島師管で編成された歩兵第62旅団を加えて編成された。同年4月に編成完了後、第13軍に属し、上海方面の警備や治安維持に従事した。

師団の編制は、4つの独立歩兵大隊から成る歩兵旅団(甲師団の歩兵旅団は2個連隊構成)を2つ持ち、砲兵力を欠いた丙師団である。後に師団砲兵隊が所属した。

1942年(昭和17年)5月から浙贛作戦に参加。さらに、広徳、衢州麗水温州などでの作戦に従事した。その後、嘉興方面で防備を固めていたが、関東軍への転用が命じられ、満州に向けて出発した直後に終戦を迎えた。

師団概要

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歴代師団長

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参謀長

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  • 塩島荘夫 大佐:1942年(昭和17年)4月15日 - 1944年3月1日[2]
  • 中川俊二 大佐:1944年(昭和19年)3月1日 - 終戦[3]

最終司令部構成

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  • 参謀長:中川俊二大佐
    • 参謀:酒巻益次郎少佐
  • 高級副官:西川理助中佐

最終所属部隊

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  • 歩兵第61旅団(広島):今関靖夫少将
    • 独立歩兵第102大隊:宍戸七郎大尉
    • 独立歩兵第103大隊:河野隆夫少佐
    • 独立歩兵第104大隊:海野鯱麻呂大尉
    • 独立歩兵第105大隊:大西粂蔵大尉
  • 歩兵第62旅団(広島):塘真策少将
    • 独立歩兵第121大隊:折田卓郎大尉
    • 独立歩兵第122大隊:藤江秋蔵大尉
    • 独立歩兵第123大隊:時広義人大尉
    • 独立歩兵第124大隊:田辺新之中佐
  • 第70師団砲兵隊:望月淳一郎大尉
  • 第70師団通信隊:吉川義則大尉
  • 第70師団兵器勤務隊:北川永雪大尉
  • 第70師団工兵隊:日下康久少佐
  • 第70師団輜重隊:下川渉少佐
  • 第70師団野戦病院:小森豊軍医少佐

脚注

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  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』313頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』410頁。
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』437頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

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