禅昌寺 (神戸市)
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禅昌寺 | |
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山門 | |
所在地 | 神戸市須磨区禅昌寺町2-5-1 |
位置 | 北緯34度40分08.9秒 東経135度07分41.5秒 / 北緯34.669139度 東経135.128194度座標: 北緯34度40分08.9秒 東経135度07分41.5秒 / 北緯34.669139度 東経135.128194度 |
山号 | 神撫山 |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
本尊 | 十二面観音 |
創建年 | 延文年間(1356年 - 1361年) |
開山 | 月菴宗光 |
札所等 | 福原西国三十三観音霊場第10番札所 |
法人番号 | 8140005000817 |
禅昌寺(ぜんしょうじ)は、神戸市須磨区禅昌寺町にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は神撫山。本尊は十二面観音。
由緒
[編集]後光厳天皇の勅令により建立された西摂有数の寺院で、延文年間(1356年 - 1361年)月菴宗光の開山により創建された寺で、足利幕府は寺領36石を寄進し、織田信長・荒木村重より諸役免除の沙汰を受けた。天正3年(1580年)豊臣秀吉の三木城・別所長治攻めの兵火で焼失し、後に桃山御殿から豊国亭を移して方丈として再興[1]。
慶長十九年に家康の後で金地院崇伝が、この寺ににった大蔵経を南禅寺に移した。これが今も南禅寺に現存し版重要文化財に指定されている。宋版のほか、麗大蔵経の初彫版が多く含まれることで知られる印1879年(明治12年)堂宇を焼失したが、運び出された板絵戸二枚が現存。本堂は、1915年(大正4年)に再建し、内陣正面に奉安されている御本尊は、約650年前に阿弥が作った十二面観音で、お顔が十二面ある、たいへん珍しい形式の仏像です。
1983年の山門解体修理中に銘板が見つかっている。
寺の傍にある墓地には、“はしかの神様”として知られる戸沢平九郎光盛、地震研究の草分け、関谷清景の墓がある
交通アクセス
[編集]周辺教育施設
[編集]- 禅昌寺幼稚園(禅昌寺の境内にある)
出典
[編集]- ^ 武庫郡教育会 『武庫郡誌』 (1921)