矢筈山登
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基礎情報 | ||||
四股名 | 矢筈山 → 海山 → 矢筈山 登 | |||
本名 | 西田 亀吉 | |||
生年月日 | 1888年12月27日 | |||
没年月日 | 1963年4月7日(74歳没) | |||
出身 | 高知県高岡郡佐川町 | |||
身長 | 182cm | |||
体重 | 113kg | |||
BMI | 34.11 | |||
所属部屋 | 友綱部屋 | |||
得意技 | 突っ張り、叩き、左四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東小結 | |||
生涯戦歴 | 77勝88敗17休5分預(21場所) | |||
幕内戦歴 | 63勝82敗17休3分預(16場所) | |||
優勝 | 十両優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1908年1月場所 | |||
入幕 | 1918年5月場所 | |||
引退 | 1926年1月場所 | |||
引退後 | 年寄・友綱(二枚鑑札) | |||
備考 | ||||
2019年8月6日現在 |
矢筈山 登(やはずやま のぼる、1888年12月27日 - 1963年4月7日)は、現在の高知県高岡郡佐川町出身で友綱部屋に所属した力士。本名は西田 亀吉。身長182cm、体重113kg。最高位は東小結。得意技は突っ張り、叩き、左四つ、寄り。現役時代から7代友綱を襲名し、友綱部屋を経営、後進の指導につとめた。
来歴
[編集]農家の三男で子供の時から体格が大きく、宮相撲で活躍して同郷の板垣 退助に見出されて1907年の暮れに入門。1908年1月初土俵、1912年1月新十両。一時幕下に低迷していた時期もあったが、1918年5月新入幕を果たす。体格力量に恵まれ、土俵際の変化も巧かったが勝ち味が遅いのが欠点だった。1921年に師匠の6代友綱(初代海山)が廃業したために以降は二枚鑑札となり、1922年1月小結に昇進、この場所5勝4敗1分の成績で翌場所も小結に留まったが3勝7敗と負け越し、以後小結に復帰しなかった。1926年1月引退。友綱部屋から幕内寶川政治や天城山猪太夫を育てた。しかし矢筈山の部屋継承には兄弟弟子達が猛反発したようであり、敷嶌は内弟子を連れて熊ヶ谷部屋を、土州山は二子山部屋、黒瀬川は谷川部屋をそれぞれ創設。結果として、太刀山の引退以降斜陽化した部屋の勢いはますます衰えていった。部屋は1946年に閉鎖され、その後は立浪部屋所属の年寄として後進の指導にあたり、1961年1月に定年退職。1963年に死去。養女2人のうち姉は巴潟誠一(のち8代友綱)、妹は一錦周之助(のち9代友綱、魁輝薫秀の義父)に嫁いだ[1]。
主な成績
[編集]- 通算成績:77勝88敗17休5分預 勝率.467
- 幕内成績:63勝82敗17休3分預 勝率.434
- 現役在位:21場所
- 幕内在位:16場所
- 三役在位:2場所(小結2場所)
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1918年1月場所)
場所別成績
[編集]春場所 | 夏場所 | |||||
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1908年 (明治41年) |
(前相撲) | 東序ノ口13枚目 – |
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1909年 (明治42年) |
西序二段30枚目 – |
東三段目45枚目 – |
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1910年 (明治43年) |
西三段目10枚目 – |
西三段目24枚目 – |
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1911年 (明治44年) |
東幕下48枚目 – |
東幕下17枚目 – |
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1912年 (明治45年) |
西十両7枚目 1–0 |
東十両15枚目 1–1 1預 |
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1913年 (大正2年) |
西十両12枚目 1–3 1預 |
西幕下5枚目 0–3 |
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1914年 (大正3年) |
東幕下23枚目 – |
西幕下19枚目 – |
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1915年 (大正4年) |
東幕下31枚目 – |
西幕下24枚目 – |
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1916年 (大正5年) |
西幕下23枚目 – |
東幕下14枚目 2–3 |
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1917年 (大正6年) |
東幕下25枚目 – |
東十両11枚目 3–2 |
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1918年 (大正7年) |
西十両5枚目 優勝 8–0 |
西前頭11枚目 2–8 |
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1919年 (大正8年) |
西前頭13枚目 5–5 |
西前頭4枚目 5–5 |
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1920年 (大正9年) |
西前頭7枚目 4–6 |
東前頭9枚目 6–4 |
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1921年 (大正10年) |
東前頭4枚目 3–7 |
西前頭12枚目 8–2 |
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1922年 (大正11年) |
西小結 5–4 1引分 |
東小結 3–7 |
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1923年 (大正12年) |
西前頭4枚目 2–7 1引分 |
東前頭11枚目 6–5 |
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1924年 (大正13年) |
東前頭6枚目 2–8 |
西前頭13枚目 4–1–6 |
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1925年 (大正14年) |
西前頭12枚目 6–5 |
東前頭8枚目 2–8 1引分 |
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1926年 (大正15年) |
東前頭14枚目 引退 0–0–11 |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
- 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。
改名
[編集]- 矢筈山 亀吉(やはずやま かめきち)1908年1月場所 - 1911年1月場所
- 海山 太郎(かいざん たろう)1911年6月場所 - 1914年1月場所
- 矢筈山 太郎(やはずやま たろう)1914年5月場所 - 1916年1月場所
- 矢筈山 登(やはずやま のぼる)1916年5月場所 - 1926年1月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
脚注
[編集]- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p40