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甲浦村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こううらそん
甲浦村
岡山市南区役所児島地域センター (旧・甲浦村役場)
岡山市南区役所児島地域センター
(旧・甲浦村役場)
廃止日 1952年4月1日
廃止理由 編入合併
牧石村大野村今村芳田村白石村甲浦村三蟠村沖田村操陽村富山村岡山市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
児島郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,753
(昭和25年国勢調査、1950年
隣接自治体 児島郡八浜町小串村鉾立村胸上村

児島湾を挟んで隣接
岡山市
児島郡灘崎町
上道郡三蟠村・沖田村
甲浦村役場
所在地 岡山県児島郡甲浦村北浦
座標 北緯34度35分16秒 東経133度58分08秒 / 北緯34.58778度 東経133.96878度 / 34.58778; 133.96878座標: 北緯34度35分16秒 東経133度58分08秒 / 北緯34.58778度 東経133.96878度 / 34.58778; 133.96878
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甲浦村(こううらそん)は岡山県南部の児島半島北岸に存在した村である。1952年4月1日に岡山市へ編入された。

概要

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現在の南区郡、北浦、宮浦、飽浦に当たる。村名の由来は、南方にある金甲山山麓の海岸地帯にあたることによる[1]

1945年6月29日岡山空襲に向かっていたB-29のうち1機が甲浦村大字宮浦の貝殻山に墜落し、搭乗していた米兵11人全員が戦死した。

人口

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1920年(大正9年) 3,335人
1925年(大正14年) 3,118人
1930年(昭和5年) 3,081人
1935年(昭和10年) 3,007人
1940年(昭和15年) 2,765人
1947年(昭和22年) 4,091人
1950年(昭和25年) 3,753人
総務省統計局 / 国勢調査1950年

歴史

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沿革

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  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制施行。郡村・北浦村・宮浦村・飽浦村が合併して児島郡甲浦村が発足。
  • 1890年(明治23年)- 尋常甲浦小学校設置(後の甲浦小学校)。
  • 1940年(昭和15年)- 文部省により大字宮浦字高島が吉備高島宮の地に認定される。
  • 1947年(昭和22年)- 甲浦小学校校舎を借用して甲浦中学校開校。
  • 1951年(昭和26年)2月 - 児島湾締切堤防が着工。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 岡山市に編入。同日甲浦村廃止。

合併以降の沿革は児島地域 (岡山市)を参照。

地域

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教育

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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