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田島慎二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田島 慎二
中日ドラゴンズ 投手コーチ
現役時代
2012年8月28日 こまちスタジアム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市天白区
生年月日 (1989-12-21) 1989年12月21日(34歳)
身長
体重
181[1] cm
87[1] kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2011年 ドラフト3位
初出場 2012年3月31日
最終出場 2024年10月5日 (引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 中日ドラゴンズ (2025 - )

田島 慎二(たじま しんじ、1989年12月21日 - )は、愛知県名古屋市天白区出身の元プロ野球選手投手)、コーチ。右投右打。

現役時代の愛称は「タジ魔神[2][3]

経歴

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プロ入り前

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小学4年生時に少年野球チームドジャースに入団、捕手として野球を始める[4][5]。中学時は軟式野球の瑞穂ブルーウイングスに所属し、ここでも捕手だった[5]

中部大学第一高校に進学後も捕手だったが、2年時の秋に先輩の朱大衛らが抜けたことから[5]投手に転向[4]。3年時の夏は、準々決勝まで5試合を計6失点、準決勝で伊藤隼太堂林翔太を擁する中京大中京高校に1-8で敗れ、甲子園出場経験は無し[5]

愛知大学野球連盟に加盟する東海学園大学経営学部に進学し[6]、1年時の春からリーグ戦に登板。2年時からエースとなり、春には1季のみではあるが1部リーグを経験。リーグ4位となる防御率2.21を記録するも、2部降格となった。4年時の春は、開幕戦の愛知産業大学戦で2安打完封勝利を挙げ10奪三振、その後右肩痛を発症し戦線離脱、秋にリリーフとして復帰する[7]

2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから3位指名を受け入団[5]背番号45。東海学園大学出身のプロ野球選手は田島が初となった[8]

中日時代

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2012年4月14日の阪神タイガース戦に2番手で登板し、プロ初勝利[9]オールスター榎田大樹の出場辞退による補充選手として、初めて選出された。ルーキーイヤーは、防御率1.15、30ホールドと大活躍を見せた。クライマックスシリーズでも浅尾拓也山井大介とともにリリーフ登板。11月22日、同学年の女性と結婚した[10]

2013年のシーズン終了後に、背番号を12に変更。

2014年、7月5日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)でNPBタイ記録の1イニング3連続死球を与えてしまった[11][注 1]。なお、後続は断ち無失点。

2015年は64試合に登板し、9セーブ15ホールドを記録。11月30日の選手納会で、翌年より選手会会計を務めることが発表された[12]

2016年には3月29日の開幕戦に登板して無失点、5月21日には開幕27試合連続登板無失点のプロ野球新記録を達成[13]。この記録は6月7日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で失点するまで、31試合に伸ばした[14][注 2]。途中から福谷浩司の不調に伴い、抑えに転向。同年のオールスターゲームでは自身初となるファン投票による選出で、2度目の出場[16]。11月8日、4000万円増となる推定年俸8200万円で契約を更改した[17]

2017年は開幕からクローザーとして34セーブを記録した。オフの契約更改では、2800万円増となる推定年俸1億1000万円で契約を更新した[18]

2018年2月、同年3月に侍JAPAN野球オーストラリア代表と対戦する「ENEOS 侍ジャパンシリーズ2018」で代表に初選出され[19]、3日のナゴヤドームでの試合で救援登板した[20]。シーズンでは、6月に鈴木博志がクローザーとなり、7月に2014年9月以来の二軍落ち[21]、9月に一軍復帰後、再び登録抹消となった[22]。結局シーズンでは30試合に登板し、0勝4敗15セーブ1ホールド、防御率は7.22だった。4000万円減の推定年俸7000万円で契約更改した[23]

2019年は、前年からの不調が続き、プロ入り後最少となる21登板に終わった。11月25日、減額制限を超える2750万円減となる推定年俸4250万円で契約を更改した[24]

2020年2月のキャンプ中に右の違和感を訴え、右円回内筋損傷の診断を受けた。4月11日、右肘のトミー・ジョン手術を受けることを発表し、このシーズンはリハビリに徹底することとなった[25]。このため、この年はプロ入り後初となるシーズン未登板となった。年俸は2年連続の減額制限を大きく超える、60%減の1500万円で契約更改した[26]

2021年は、リハビリを終えて春季キャンプに合流した[27]。また、4月9日に行われたオリックス戦(ナゴヤ球場)で、久しぶりにファーム公式戦に登板した。以後チームの遠征にも帯同している[28]。7月12日の広島東洋カープ戦で、一軍昇格後初登板。7回裏にマウンドに上がり1イニングを無失点に抑えた。8月18日に国内FA権を取得した。この日の広島戦では6回二死満塁の場面で登板し、816日ぶりのホールドを挙げた。8月21日の阪神戦で5回に登板し、1472日ぶりに勝利投手となり、9月15日の広島戦から9試合連続無失点を記録した[29]。シーズンでは22試合に登板し、2勝1敗8ホールド、防御率2.45を記録した。8月18日に取得した国内FA権を行使せず残留することが発表され、11月25日に行われた契約更改では、2000万円増の3500万円+出来高(推定)で契約を更改した[30]

2022年は、3年ぶりとなる開幕一軍を勝ち取った[31]。もっとも、シーズン通算では登板数・防御率共に前年に劣る21試合、防御率4.57だった[32]。オフの契約更改では、2021年シーズンから複数年契約を結んでいることを明かした[32]

2023年は、開幕一軍入りするも、5月30日の試合前練習で背中の張りを訴え、翌5月31日に登録抹消[33]。8月23日にも右肩の違和感で登録抹消され、そのままシーズンを終えた[34]。シーズン通算で32試合に登板し、1勝2敗10ホールド、防御率4.85を記録[35]。11月9日、現状維持となる推定年俸3500万円で契約を更改した[35]

選手としての特徴・人物

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強い地肩を活かしたスリークォーターから平均球速約146km/h[36]、最速153km/hの球質の重いストレートを投げ分ける[7]。変化球はスラーブSFF(高速フォーク)、シュートを投げる[4][5]。2013年度からは、四死球でリズムを崩す場面が増えていたが、2015年から投球フォームをサイドスロー気味にしてからは制球が安定し、四死球も減少傾向にある。

入団1年目の2012年から2014年までの3年間、東京ドームでの防御率は0.00であったが、2015年は防御率10.13、2016年は11.57、2017年は23.14を記録し、鬼門とされており[37]、「東京ドーム病」と称するメディアも存在する[38]。2017年は巨人戦の地方を含むビジター戦で一度もセーブを挙げられなかった。2016年9月22日には1点リードの9回裏にギャレット・ジョーンズに逆転サヨナラ2点本塁打を、同9月27日には同点の9回裏に村田修一にサヨナラ満塁本塁打を打たれ、翌2017年4月1日の開幕2戦目には1点リードの9回裏に阿部慎之助に逆転サヨナラ3点本塁打、6月25日には1点リードの9回裏に陽岱鋼の適時打で同点に追いつかれた直後に石川慎吾の代打サヨナラ適時打を打たれ、同8月4日には1点リードの9回裏に橋本到の同点ソロ本塁打を被弾している。さらに9月5日の巨人戦(松本市野球場)では、3点リードの9回裏に登板したものの、二死から走者を出し長野久義の適時打で2点差に詰め寄られると、なおも走者一塁で途中出場の宇佐見真吾に勝利まであと1球と追い込んでから低めのスプリットを拾われ同点本塁打を被弾した。そして2019年6月1日には4点リードの6回裏無死満塁から登板した結果、クリスチャン・ビヤヌエバに初球をバックスクリーンに運ばれ同点満塁本塁打を打たれた後、阿部慎之助のプロ通算400号本塁打を献上し4点差からの逆転を許した。

イチロー杯争奪学童軟式野球大会に小学校6年生時に出場経験があり、優勝してMVPを獲得している[39]。2012年のオフには、同大会出身のプロ野球選手として閉会式に招待され、イチローとの「再会」を果たした[39]

大相撲稀勢の里寛と親交があり、2017年初場所(1月場所)に稀勢の里が優勝を決めた際にはもらい泣きをする程感激したという[40]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2012 中日 56 0 0 0 0 5 3 0 30 .625 274 70.2 50 1 17 0 3 56 2 0 10 9 1.15 0.95
2013 50 2 0 0 0 5 10 0 12 .333 286 64.1 66 3 32 3 4 60 3 1 37 34 4.76 1.52
2014 42 0 0 0 0 3 5 0 9 .375 232 51.0 47 5 29 2 4 55 3 0 35 29 5.12 1.49
2015 64 0 0 0 0 4 6 9 16 .400 316 75.0 68 4 25 2 6 62 5 0 25 19 2.28 1.24
2016 59 0 0 0 0 3 4 17 18 .429 248 59.0 50 5 25 1 3 61 5 0 16 16 2.44 1.27
2017 63 0 0 0 0 2 5 34 6 .286 249 62.2 40 6 25 1 3 46 5 0 20 20 2.87 1.04
2018 30 0 0 0 0 0 4 15 1 .000 134 28.2 30 4 18 3 2 13 3 0 23 23 7.22 1.67
2019 21 0 0 0 0 0 1 0 5 .000 91 21.0 18 5 8 0 2 22 4 0 16 16 6.86 1.24
2021 22 0 0 0 0 2 1 0 8 .677 74 18.1 15 0 6 0 0 22 1 0 5 5 2.45 1.15
2022 21 0 0 0 0 0 0 0 1 .--- 97 21.2 22 2 8 0 1 9 1 0 13 11 4.57 1.38
2023 32 0 0 0 0 1 2 0 10 .333 127 29.2 24 3 17 0 1 31 0 0 16 16 4.85 1.38
2024 2 0 0 0 0 0 0 0 1 .--- 6 0.1 4 0 1 0 0 1 0 0 4 4 108.00 15.00
通算:12年 462 2 0 0 0 25 41 75 117 .379 2134 502.1 434 38 211 12 29 438 32 1 220 202 3.62 1.28

年度別守備成績

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投手












2012 中日 56 4 20 0 3 1.000
2013 50 1 16 1 2 .944
2014 42 1 11 0 1 1.000
2015 64 4 28 3 3 .914
2016 59 3 18 0 0 1.000
2017 63 3 15 0 2 1.000
2018 30 1 9 0 1 1.000
2019 21 2 2 0 0 1.000
2021 22 2 3 0 0 1.000
2022 21 5 6 0 0 1.000
2023 32 1 8 0 0 1.000
2024 2 0 0 0 0 .---
通算 462 27 136 4 12 .976

表彰

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  • ヤナセ・がんばれドラゴンズMIP賞:1回(2012年)[41]

記録

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初記録
  • 初登板:2012年3月31日、対広島東洋カープ2回戦(ナゴヤドーム)、8回表に3番手で救援登板、1回無失点
  • 初奪三振:同上、8回表にニック・スタビノアから空振り三振
  • 初勝利:2012年4月14日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、3回裏に2番手で救援登板、4回0/3を1失点(自責点0)
  • 初ホールド:2012年4月21日、対広島東洋カープ5回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回裏に2番手で救援登板、3回無失点
  • 初先発:2013年7月2日、対広島東洋カープ10回戦(豊橋市民球場)、6回3失点7奪三振で勝敗つかず
  • 初セーブ:2015年7月11日、対広島東洋カープ12回戦(ナゴヤドーム)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
節目の記録
  • 100ホールド:2021年9月7日、対広島東洋カープ18回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回裏に2番手として救援登板、1/3回無失点 ※史上36人目[42]
その他の記録

背番号

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  • 45(2012年 - 2013年)
  • 12(2014年 - )

登板時登場曲

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代表歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1イニング3死球は2010年ジャンカルロ・アルバラード広島東洋カープ)以来6人目の記録で、3連続死球に限定すると、1979年望月卓也千葉ロッテマリーンズ)以来の記録である。
  2. ^ 2021年平良海馬埼玉西武ライオンズ)によって記録更新されたが、現在もセ・リーグ記録である[15]

出典

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  1. ^ a b 田島 慎二(中日ドラゴンズ)”. NPB.jp 日本野球機構 (2022年2月26日). 2022年2月27日閲覧。
  2. ^ 「タジ魔神」は復活できるか? 中日田島、昨季は「1球の失敗をイヤだと…」”. Full-Count (2019年2月5日). 2021年8月18日閲覧。
  3. ^ 中日 田島慎二・らしさ戻った「タジ魔神」 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2017年5月4日). 2021年8月18日閲覧。
  4. ^ a b c 信頼されるプロに 中日3位指名 田島慎二投手(東海学園大)”. 中日新聞 (2011年11月4日). 2017年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月6日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 新たな野球人生 田島慎二『週刊ベースボール』2011年12月19日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-12/19, 112-113頁。
  6. ^ 【硬式野球部】元中日ドラゴンズ投手の上原晃さんがコーチとして就任 | 新着情報”. 東海学園大学 公式サイト (2023年4月1日). 2023年7月30日閲覧。
  7. ^ a b 【中日3位】田島慎二 最速149キロの“隠し球”的右腕 将来は守護神に!”. スポニチ Sponichi Annex (2011年10月27日). 2011年11月6日閲覧。
  8. ^ 【中日】ドラ3田島150キロ!2回無失点」『日刊スポーツ』2012年3月22日。2020年9月18日閲覧。
  9. ^ 田島プロ初勝利にも平然「うれしいですけど、たまたま」”. スポニチ Sponichi Annex (2012年4月15日). 2021年9月8日閲覧。より。
  10. ^ 中日スポーツ 2012年11月27日
  11. ^ a b 中日・田島が1イニング3死球で球場騒然…プロ野球タイ記録」『サンケイスポーツ』2014年7月4日。オリジナルの2014年7月7日時点におけるアーカイブ。2014年7月5日閲覧。
  12. ^ 中日大野が新選手会長「明るく、強いチームを作る」”. 日刊スポーツ (2015年11月30日). 2021年9月8日閲覧。
  13. ^ 中日 田島、プロ野球記録の開幕27試合連続無失点「緊張しました」”. サンケイスポーツ (2016年5月21日). 2021年9月8日閲覧。
  14. ^ 中日田島、開幕からの連続試合無失点31でストップ”. 日刊スポーツ (2016年6月8日). 2021年9月8日閲覧。
  15. ^ 西武・平良がプロ野球新記録樹立! 開幕から32試合連続無失点で、中日・田島を超える」『Sponichi Annex』2021年6月13日。2021年6月13日閲覧。
  16. ^ 田島投手がファン投票で選出”. 中日ドラゴンズ公式サイト (2016年6月27日). 2021年9月8日閲覧。
  17. ^ 竜の守護神・田島 倍増8200万円でサイン「来年は上の順位で戦いたい」”. 東スポWEB (2016年11月8日). 2024年1月14日閲覧。
  18. ^ 中日田島1億円突破「やられた試合も何度もあった」”. 日刊スポーツ (2017年11月30日). 2021年5月15日閲覧。
  19. ^ 中日田島、侍ジャパン初選出「夢見ていたところ」”. 日刊スポーツ新聞社 (2018年2月20日). 2018年10月14日閲覧。
  20. ^ ENEOS 侍ジャパンシリーズ2018 日本 対 オーストラリア”. 日本野球機構. 2018年10月14日閲覧。
  21. ^ 【中日】田島、4試合連続失点で4年ぶり2軍落ち…迷える守護神「情けない」” (2018年7月17日). 2018年10月14日閲覧。
  22. ^ 9日の公示 中日が田島慎二を抹消し、鈴木翔太を登録 広島は高橋樹也を登録” (2018年9月9日). 2018年10月14日閲覧。
  23. ^ 中日田島4000万円減、守護神務めた与田監督が檄”. 日刊スポーツ (2018年11月25日). 2024年1月14日閲覧。
  24. ^ 中日田島2750万減の4250万「悔しい1年間」”. 日刊スポーツ (2019年11月25日). 2021年5月15日閲覧。
  25. ^ 中日・田島がトミー・ジョン手術へ 来季の復帰目指す」『サンケイスポーツ』2020年4月11日。2020年4月12日閲覧。
  26. ^ 中日 山井に続き田島も球団へ要望! 60%超ダウンの1500万円で更改”. スポニチ Sponichi Annex (2020年12月4日). 2021年5月15日閲覧。
  27. ^ 【中日】田島慎二がビシエドら相手に打撃投手 復活へ前進!逆方向へのファウルに押さえる場面も”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ (2021年2月20日). 2021年5月15日閲覧。
  28. ^ 最初で最後の「100点登板」の先へ…中日・田島慎二、プロ10年目の再出発”. BASEBALL KING (2021年4月15日). 2021年5月15日閲覧。
  29. ^ 田島慎二 年度別出場成績 | 中日ドラゴンズ | 選手”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年12月11日閲覧。
  30. ^ 【中日】田島慎二が2000万増でサイン「立浪監督と一緒に野球ができることも大きかった」国内FAは封印”. スポーツ報知 (2021年11月25日). 2022年2月19日閲覧。
  31. ^ あまりにも相性が悪すぎた…? 谷繁氏が中日の“継投ミス”を指摘”. BASEBALL KING (2022年3月27日). 2023年2月17日閲覧。
  32. ^ a b 【中日】田島慎二は現状維持で更改「来年は今年の分を取り返す」昨季から複数年契約とも明かす”. 日刊スポーツ (2022年11月13日). 2023年2月17日閲覧。
  33. ^ 背中の張りで抹消、田島慎二が離脱後初となるブルペン投球「投げてみても問題なかったです」”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ (2023年6月6日). 2024年1月14日閲覧。
  34. ^ 【中日】田島慎二、若手救援陣に「どんどん教えていきたい…という気持ちは全くない」2年契約最終年は現状維持3500万円”. スポーツ報知 (2023年11月9日). 2024年1月14日閲覧。
  35. ^ a b 【中日】田島慎二は現状維持3500万円 来季3年契約最終年「勝負の年」若手に対抗心”. 日刊スポーツ (2023年11月9日). 2024年1月14日閲覧。
  36. ^ 数字で探す 漢の中の漢、真の剛腕は誰だ『週刊ベースボール』2012年29号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-7/2、30頁。
  37. ^ 中日ドラゴンズ 田島慎二投手にいろいろ聞いてみました”. CBCラジオ (2017年12月30日). 2018年3月27日閲覧。
  38. ^ 中日田島が同点ソロ被弾、深刻な「東京ドーム病」”. 日刊スポーツ (2017年8月4日). 2018年3月27日閲覧。
  39. ^ a b イチ杯出身の中日田島「足が震えた」再会”. 日刊スポーツ (2012年12月24日). 2021年9月8日閲覧。
  40. ^ 燃える田島 稀勢の里から直接エール”. 中日スポーツ (2017年1月27日). 2017年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月8日閲覧。
  41. ^ 2012ヤナセ・プロ野球MVP賞 表彰結果のご案内” (PDF). ヤナセ (2015年12月27日). 2018年2月28日閲覧。
  42. ^ 【中日】田島 史上36人目の通算100ホールド達成」『中日スポーツ』2021年9月8日。2021年10月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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