王仙芝
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王 仙芝(おう せんし、生年不詳 - 878年)は、中国の唐代末期の反乱指導者。唐朝に対して反乱を起こしたが、失敗して殺された。
略歴
[編集]濮州鄄城県で生まれる。若いときから私塩の密売に関っていた。874年(乾符元年)[1]に数千人を集めて長垣で挙兵し、天補平均大将軍兼海内諸豪都統と号した。各地を陥落させ数万の軍勢に達し、塩の密売人仲間の黄巣も数千人を率いて参加。勢いにのって山東・河南一帯を荒らしまわったため、唐から懐柔策として官職を与えられることになった。これが伝えられると喜んで承諾したが、これを知って激怒した黄巣に殴られ叱咤されたため、あきらめた。
この後、黄巣の軍と分裂して各地で転戦した。再度、唐に官職を求めたこともあったが拒絶され、878年(乾符5年)に黄梅で唐軍に敗れ戦死した[2]。