瀬名政勝
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代 |
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生誕 | 永禄9年(1566年) |
死没 | 元和2年4月14日(1616年5月29日) |
別名 | 源五郎、十右衛門(通称) |
戒名 | 玄紅 |
墓所 | 松源寺 |
氏族 | 瀬名氏(清和源氏足利氏流今川氏支流) |
父母 | 父:瀬名氏明、母:葛山氏元の娘 |
妻 | 小出氏 |
子 | 清貞、吉久 |
瀬名 政勝(せな まさかつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。徳川家康に仕え、旗本になった。
生涯
[編集]『寛政重修諸家譜』によると、父は瀬名氏明、母は葛山氏元の娘。
天正9年(1581年)、16歳で徳川家康に初謁。天正12年(1584年)2月より家康の側近くに仕え、この年の小牧の戦いにも従軍した。その後、大和国に知行300石を得た。
天正18年(1590年)3月11日、知行地のうち190石が旧知駿河国庵原郡瀬名村(現:静岡市葵区瀬名)に移され、家康が関東に移されると武蔵国入間郡に知行地が転じた。同年5月17日には御朱印を下付されている。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに従軍。のちに大番に列した。
元和2年(1616年)4月14日没。享年51。江戸牛込の松源寺に葬られた。
系譜
[編集]『寛政重修諸家譜』は以下の2男を載せる。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第九十五