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瀬名政勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
瀬名政勝
時代 安土桃山時代 - 江戸時代
生誕 永禄9年(1566年
死没 元和2年4月14日1616年5月29日
別名 源五郎、十右衛門(通称
戒名 玄紅
墓所 松源寺
氏族 瀬名氏(清和源氏足利氏今川氏支流)
父母 父:瀬名氏明、母:葛山氏元の娘
小出氏
清貞吉久
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瀬名 政勝(せな まさかつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将徳川家康に仕え、旗本になった。

生涯

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寛政重修諸家譜』によると、父は瀬名氏明、母は葛山氏元の娘。

天正9年(1581年)、16歳で徳川家康に初謁。天正12年(1584年)2月より家康の側近くに仕え、この年の小牧の戦いにも従軍した。その後、大和国に知行300石を得た。

天正18年(1590年)3月11日、知行地のうち190石が旧知駿河国庵原郡瀬名村(現:静岡市葵区瀬名)に移され、家康が関東に移されると武蔵国入間郡に知行地が転じた。同年5月17日には御朱印を下付されている。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに従軍。のちに大番に列した。

元和2年(1616年)4月14日没。享年51。江戸牛込松源寺に葬られた。

系譜

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寛政重修諸家譜』は以下の2男を載せる。

  • 清貞
  • 吉久(正重)
    八郎右衛門、甚左衛門。寛永5年(1628年)、徳川家光に初謁。別家を立てて旗本となる。小十人組・御納戸番士を経て、慶安元年(1648年)9月26日に小納戸役となる。しかし、慶安4年(1651年)部下の同心の罪に連座して改易された。

参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜』巻第九十五

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