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湖南村 (福島県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こなんむら
湖南村
廃止日 1965年5月1日
廃止理由 新設合併
郡山市、安積郡富久山町日和田町熱海町安積町喜久田村逢瀬村片平村三穂田村湖南村田村郡田村町郡山市
現在の自治体 郡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
安積郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 141.40 km2.
総人口 9,518
国勢調査、1960年10月1日)
隣接自治体 会津若松市耶麻郡猪苗代町安積郡熱海町逢瀬村三穂田村岩瀬郡岩瀬村長沼町天栄村
湖南村役場
所在地 福島県安積郡湖南村
座標 北緯37度24分39秒 東経140度07分31秒 / 北緯37.41083度 東経140.12539度 / 37.41083; 140.12539 (湖南村)座標: 北緯37度24分39秒 東経140度07分31秒 / 北緯37.41083度 東経140.12539度 / 37.41083; 140.12539 (湖南村)
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湖南村(こなんむら)は福島県中通り西部、安積郡に属していた村。

概要

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戦国時代頃から白河街道が通り、赤津、福良、三代地域には宿場町が置かれて栄えた。そのため古くから街道で結ばれた会津若松市とのつながりが深いが、1962年昭和37年)に旧三森隧道が開通して郡山市側へのアクセスが大幅に改善したことで、郡山市との交流も徐々に活発になっている。

地理

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現在の郡山市の西部に位置する。

歴史

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行政区域変遷

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  • 変遷の年表
湖南村村域の変遷(年表)
月日 旧湖南村村域に関連する行政区域変遷
1889年(明治22年) 4月1日 町村制施行により、以下の村が発足[1][2]
  • 箕輪村 ← 中野村・三代村
  • 月形村 ← 中舟津村・舘村・横沢村・浜路村
  • 福良村 ← 福良村・馬入新田村
  • 赤津村 ← 赤津村単独で村制施行
1892年(明治25年) 7月21日 箕輪村は分割。
  • 箕輪村の一部(中野)は分立し中野村が発足。
  • 箕輪村の残部(三代)は分立し三代村が発足。
1955年(昭和30年) 3月31日 中野村・三代村・月形村・福良村・赤津村が合併し湖南村が発足。
1965年(昭和40年) 5月1日 湖南村は郡山市と安積郡富久山町日和田町熱海町安積町喜久田村逢瀬村
片平村三穂田村田村郡田村町とともに合併し郡山市が発足。湖南村は消滅。
  • 市制・町村制以前の変遷表
市制町村制以前の湖南村村域の変遷表
1868年
以前
明治元年 - 明治22年 明治22年
4月1日
中地村 明治8年
中野村
箕輪村
安佐野村
三代村
舟津村 月形村
舘村
横浜村 明治9年
横浜村
明治17年
横浜村
浜路村 明治17年
浜路村
福良村 福良村
舘村
赤津村 赤津村
  • 市制・町村制以後の変遷表
市制・町村制以後の湖南村村域の変遷表
1889年
以前
明治22年
4月1日
明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
中野村 箕輪村 明治25年7月21日
中野村分立
昭和30年3月31日
湖南村
昭和40年5月1日
郡山市
郡山市 郡山市
三代村 明治25年7月21日
三代村分立
舟津村 月形村 月形村
舘村
横浜村
浜路村
福良村 福良村 福良村
舘村
赤津村 赤津村 赤津村

脚注

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  1. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 7 福島県』、角川書店、1981年 ISBN 4040010701より
  2. ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より

関連項目

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