渡邊熊四郎 (2代)
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2代渡邊 熊四郎[1](渡辺熊四郎、わたなべ くましろう[2]、1847年2月15日(弘化4年1月1日)[3] - 1916年(大正5年)9月28日[4])は、日本の実業家。渡邊合名会社代表社員[3][5]。百十三銀行、箱館貯蓄銀行各取締役[3][5]。族籍は北海道平民[3][5]。
人物
[編集]肥前国長崎生まれ[1][2]。渡邊重吉の五男[1][3][5]。幼名は音吉[2][6]。明治初年箱館に渡航し、渡邊家の養子となる[6]。1896年、家督を相続し、前名音吉を改称する[3][5]。舶来物の販売に従い、余業第百十三、箱館貯蓄の二銀行の経営に参与する[6]。
1906年、渡邊合名会社を組織する[4]。洋物店、洋酒缶詰店、時計店、砂糖店、薬種店、洋服店等を経営する[2]。箱館区会議員、学務委員、鶴岡学校理事長などをつとめる[1]。谷地頭運動場、千代ケ岱小学校建築のため敷地や資金を提供する[4]。住所は箱館末広町[3][5]。
家族・親族
[編集]- 渡邊家
- 養父・孝平[1][3](初代熊四郎、1840年 - 1907年、実業家)
- 養母・カツ(1859年 - ?、埼玉、金子忠右衛門の長女)[3]
- 養子・3代熊四郎(前名・源太郎[3]、1865年 - ?、北海道、林松右衛門の二男、渡邊合名会社代表社員、洋物洋酒罐詰販売業[6])
- 孫[5]
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『函館市功労者小伝』36 - 37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月13日閲覧。
- ^ a b c d 『北海道人名辞書』243頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『人事興信録 第3版』わ38、41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月13日閲覧。
- ^ a b c 渡邊 熊四郎とはコトバンク。2021年12月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』わ21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年3月6日閲覧。
- ^ a b c d 『大正人名辞典』1215頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 金子信尚編『北海道人名辞書』北海民論社、1923年。
- 函館市編『函館市功労者小伝』函館市、1935年。