深尾重忠
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 永禄12年(1569年) |
死没 | 明暦4年3月11日(1658年4月13日) |
改名 | 六蔵/主水(幼名)→重忠 |
主君 | 山内一豊→忠義→忠豊 |
藩 | 土佐藩 |
氏族 | 深尾家(南宗深尾家) |
父母 | 父:深尾重三、養父:深尾重良 |
兄弟 | 養兄弟:重昌(山内康豊三男) |
妻 | 深尾重良娘 |
子 | 重行、深尾重昌正室、乾和成室(三女) |
深尾 重忠(ふかお しげただ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、山内家の家臣。土佐藩筆頭家老。南宗深尾家初代。
生涯
[編集]永禄12年(1569年)、深尾重三の子として誕生した。その後、深尾重良の養子になる。
山内一豊に近江国長浜へ養父・重良と共に招かれ、100石、次いで200石を得る。小田原征伐で功を挙げてさらに200石を加える。関ヶ原の戦いでも功があり、一豊が土佐国藩主になると、重良は首席家老1万石、重忠は別に2000石を給わった。
その後、人質として妻子と共に16年間江戸で暮らす。土佐藩2代藩主・山内忠義を輔けて功を挙げ、5000石を賜る。しかし藩命により、重良は一豊の弟・康豊の三男・重昌を養子とし、重忠の娘と配して家名を継がせることとなり、重忠は南宗深尾家を興し、家老の一員となる。元和8年(1622年)、忠義の命を奉じて、野中直継、寺村淡路、乾和三らと共に土佐領内の仕置を定める。
逸話
[編集]妻の病気平癒を祈願して全快し、その礼として乗台寺に庭園を築いた。高知県指定の文化財とし今でも佐川町に存在している。
系譜
[編集]出典
[編集]- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年
- 『土佐藩家老物語』松岡司著、高知新聞社、2001年
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