浦上清宗
表示
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 永禄7年1月11日(1564年2月23日) |
氏族 | 浦上氏 |
父母 | 父:浦上政宗 |
兄弟 | 忠宗、清宗、誠宗 |
妻 | 黒田職隆娘[1] |
生涯
[編集]浦上政宗の次男として誕生。
永禄7年(1564年)1月11日、黒田職隆の娘を室に迎える婚礼当日、あるいは婚礼当日の夜に、置塩城主・赤松晴政(『備前軍記』による)[2]の攻撃をうけ、室山城にて父・政宗と共に討死した。妻は城主を継いだ弟・誠宗に再嫁している。
脚注
[編集]- ^ 小寺孝高の娘ともされるが、当時孝高はまだ若年で結婚適齢期の娘がいたとは考えられず、孝高の父・職隆の娘あるいは養女と見る向きが強い。
- ^ 『播磨鑑』によると、室山城を攻めたのは晴政ではなく、龍野城主の赤松政秀であったという。しかし、当時の室山城主を浦上村宗とするなど誤謬もある。
出典
[編集]- 橋本政次『姫路城史』