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河野法雲

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河野法雲
1867年(慶應3年) - 1946年(昭和21年)
生地 美濃国羽栗郡円城寺村
没地 岐阜県羽島郡笠松町
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
寺院 河野稱名寺
著作 華厳経経典解説
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河野 法雲(こうの ほううん[注 1]、1867年(慶應3年) - 1946年(昭和21年))は日本の僧。

生涯

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1867年(慶應3年)、美濃国羽栗郡円城寺村(現在の岐阜県羽島郡笠松町)の河野稱名寺で、寺族として生まれる[3]

真宗大学教授を経て[4]、1934年(昭和9年)に大谷大学学長に就任[5]

1935年(昭和10年)に論文「宗祖聖人の神祇観」を発表し、「神祇不拝の教え」を明確にした[3]。その論文が「教義上不穏当な箇所あり」とされ、1936年(昭和11年)に学長を更迭された[3]。後、宗門における職を一切辞し、自坊にもどり、宗門の戦争協力に従うことはなかった[3]

1945年(昭和20年)に大谷大学名誉教授の称号を受けた翌年、自坊にて示寂[3]

関連書籍

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  • 亀谷聖馨、河野法雲『華嚴發達史』名教學會、東京、1913年7月28日。doi:10.11501/943440全国書誌番号:43012260 
  • 河野法雲『華嚴五經章講義』法藏館、京都、1913年。doi:10.11501/943448全国書誌番号:43012268 
  • 河野法雲「四天王と六齋日」『佛教研究』第2巻第3号、大谷大學佛教研究會、京都、1921年7月、78-91頁、doi:10.11501/2216202ISSN 0913235X全国書誌番号:00052592 
  • 河野法雲『眞宗の神祇觀』法藏館、京都、1930年。doi:10.11501/1918284全国書誌番号:54014282 
    • 赤松徹眞 編「真宗の神祇観」『近代真宗者の「神社問題」論説集成』 6巻(編集復刻版)、三人社、京都、2020年5月(原著1930年8月)。ISBN 9784866912257全国書誌番号:23384102 
  • 河野法雲『佛説阿彌陀經講義』安居事務所、京都、1932年7月10日。doi:10.11501/1102612全国書誌番号:44039864 
  • 河野法雲「華嚴經講義」『大蔵經講座』 4巻、東方書院、東京、1933年7月。全国書誌番号:47025428 
    • 河野法雲「華嚴經講義」『大蔵經講座』 4巻(複製限定版)、名著出版、東京、1976年4月(原著1933年7月)。全国書誌番号:74012781 
    • 河野法雲『華厳経経典解説』(新装版)名著出版、大阪、2018年7月(原著1933年7月)。ISBN 9784626018106全国書誌番号:23337941 
  • 河野法雲『佛説阿彌陀經講義』安居事務所、京都、1933年7月10日。doi:10.11501/1032966全国書誌番号:44018160 
  • 河野法雲『安樂集講録撮要』安居事務所、京都、1933年7月。doi:10.11501/1186576全国書誌番号:46077153 
  • 河野法雲 著「聖武天皇の大佛建立」、眞宗各派協和會 編『日本精神と佛教論纂』文化時報社出版部、京都、1934年、83-96頁。doi:10.11501/1213244全国書誌番号:47014442 
  • 河野法雲,菅原時保『華嚴經・圓覺經講義』佛教聖典講義刊行會、東京〈教聖典講義大系〉、1934年11月。 NCID BA58749714 
  • 河野法雲『現生不退論』丁子屋書店、京都、1935年7月3日。doi:10.11501/1097587全国書誌番号:47014442 
  • 西村七兵衞『眞宗辭典』河野法雲,雲山竜珠、法藏館、京都、1935年6月。doi:10.11501/1234111ISBN 4831870129全国書誌番号:47002706 
    • 西村七兵衞『眞宗辭典』河野法雲,雲山竜珠(改訂第3版)、法藏館、京都、1952年11月(原著1935年6月)。 
    • 西村明『眞宗辭典』河野法雲,雲山竜珠(新装版)、法藏館、京都、1994年6月(原著1935年6月)。ISBN 4831870129全国書誌番号:20660748 
  • 河野法雲「宗祖聖人の神祇観」『眞宗』第408号、大谷派宗務所社會課、京都、1935年10月、全国書誌番号:00012179 
  • 河野法雲『第十八願文講義』丁子屋書店、京都、1938年8月20日。doi:10.11501/1025744全国書誌番号:44005971 
  • 河野法雲「支那華嚴列祖の弘化」『日華佛教研究會年報』日華佛教研究會、京都〈第3年〉、1938年9月15日、232-239頁。doi:10.11501/1073996全国書誌番号:46067848 
  • 河野法雲「支那華嚴列祖の弘化(其の二)」『日華佛教研究會年報』日華佛教研究會、京都〈第4年〉、1940年10月5日、93-109頁。doi:10.11501/1073998全国書誌番号:46067848 

脚注

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注釈

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  1. ^ 「かわの ほううん」と表記する文献もある[1][2]

出典

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  1. ^ 河野法雲『第十八願文講義』丁子屋書店、京都、1938年8月20日。doi:10.11501/1025744全国書誌番号:44005971https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1025744 
  2. ^ 河野法雲, 朝永三十郎, 茜部忍, 可西大秀, 林五邦, 古海香雲「本田前学長・小島・赤沼教授を偲ぶ」『大谷学報』第19巻第3号、大谷学会、1938年7月、153-176頁、CRID 1050282676644632704ISSN 0287-6027NAID 120005904143 
  3. ^ a b c d e 高橋恒美「戦争反対を貫いた僧 笠松の「法雲」さん」『石だたみ』第61号、笠松町文化協会、岐阜、2021年1月1日、2-3頁。 
  4. ^ 本田前学長・小島・赤沼教授を偲ぶ, p. 155-157, 河野法雲「予の追憶」.
  5. ^ 歴代学長”. 大学概要. 大谷大学. 2020年12月30日閲覧。

関連項目

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先代
上杉文秀
大谷大学
7代学長:1934-1936
次代
住田智見