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橋本三治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 橋本三治 八段
名前 橋本三治
生年月日 (1925-12-12) 1925年12月12日
没年月日 (2002-02-03) 2002年2月3日(76歳没)
プロ入り年月日 1951年4月1日(25歳)
引退年月日 1985年4月(59歳)
棋士番号 58
出身地 兵庫県尼崎市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 木見金治郎九段
段位 八段
棋士DB 橋本三治
戦績
通算成績 191勝336敗(.362)
順位戦最高クラス C級2組
2017年8月23日現在
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橋本 三治(はしもと さんじ、1925年12月12日 - 2002年2月3日)は、将棋棋士。棋士番号58。兵庫県尼崎市出身。

木見金治郎九段門下。同門の先輩には大野源一角田三男升田幸三大山康晴がいる。

棋歴

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1952年、順位戦C級2組に初参加し9勝3敗の3位でC級1組に昇級。1953年、2勝10敗の最下位でC級2組に1期で戻る。

1960年、C級2組順位戦で2勝11敗により陥落し、そこから4年半にわたって予備クラス(奨励会三段が所属したクラス)で指した。予備クラスに陥落し復帰した数少ない棋士である。6期目には関西優勝も関東優勝の米長邦雄に敗れ、敗者復活では大内延介に敗れ順位戦復帰はならなかった。9期目に関西優勝し、関東優勝の桜井昇に勝ち順位戦に復帰した。

1967年、復帰後3期目のこの期に3勝9敗で降級点。翌1968年も3勝9敗で2つ目の降級点が付いた。その後3年連続指し分けであったが、1973年3勝7敗で3つ目の降級点が付き、順位戦から陥落した。

1970年に創設され、年齢制限のなかった第1回新人王戦に45歳で出場し決勝に進出。29歳の山口英夫に2連敗で準優勝。

1985年引退。通算成績は191勝336敗。引退後は半九郎というペンネームで観戦記者を務めたこともある。

昇段履歴

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  • 1947年00月00日:3級で入門
  • 1951年04月01日:四段
  • 1953年00月00日:五段
  • 1973年00月00日:六段
  • 1985年04月00日:引退
  • 1993年11月00日:七段
  • 2002年02月03日:逝去(享年76)
  • 2003年02月03日:八段(追贈)

主な成績

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一般棋戦

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  • 新人王戦 準優勝(第1回-1970年度)

在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[1]
(出典)竜王戦
出典[2]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1952 7 C208
1953 8 C113
1954 9 C202
1955 10 C204
1956 11 C208
1957 12 C206
1958 13 C204
1959 14 C209
1960 15 予備クラス
1961 16 予備クラス
1962 17 予備クラス
1963 18 予備クラス
1964 19 予備クラス
1965 20 予備クラス
1966 21 C212
1967 22 C206
1968 23 C204
1969 24 C215
1970 25 C216
1971 26 C210
1972 27 C208
1973 28 C211
1974 29 C3
1975 30 C3
1976 主催者移行問題により中止
1977 36 C3
1978 37 C3
1979 38 C3
1980 39 C3
1981 40 C3
1982 41 C3
1983 42 C3
1984 43 C3
1985 44 C3
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

関連項目

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外部リンク

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  1. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  2. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。