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権藤貫一

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権藤 貫一(ごんどう かんいち、弘化元年12月1845年[1] - 大正4年(1915年1月10日)は、日本の政治家衆議院議員長野県知事玄洋社社員[2]

経歴

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筑前国早良郡(現福岡県福岡市)生まれ。糟屋郡など複数の郡長を歴任後、政治結社「福岡玄洋社」に属し、第1回第4回衆議院議員総選挙に当選。第2次松方内閣1897年、長野県知事に登用された。長野県上水内郡芹田村(現・長野市)に農事試験場を開設し、県内19箇所に蚕種検査所を設置して蚕病の取締に着手、小県郡に蚕種同業組合を設立した。森林法による地方森林会や、農工銀行などの創設にあたった。

栄典

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脚注

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』265頁。
  2. ^ 石瀧豊美『玄洋社・封印された実像』海鳥社、2010年、玄洋社社員名簿35頁。
  3. ^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。

参考文献

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  • 『長野県政史』
  • 赤羽篤外編 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。