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楚山郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
楚山郡
位置
各種表記
チョソングル: 초산군
漢字: 楚山郡
日本語読み仮名: ぞざんぐん
片仮名転写: チョサン=グン
統計(2008年
面積: 589.69 km2
総人口: 43,614[1]
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
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楚山郡(チョサンぐん、そざんぐん[2])は、朝鮮民主主義人民共和国慈江道に位置する郡。中華人民共和国との国境地帯にある。

位置

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楚山郡の南側には江南山脈があって北は鴨緑江である。鴨緑江を渡れば中国の満洲地域である。一番高い山は海抜1079mの南海泰山である。

国道第3番線の終点区間が楚山郡に位置している。

気候

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気候は大陸性気候であり、夏は暑く、冬は寒い。北朝鮮の最高気温に記録された41゜Cは1961年7月に楚山郡で記録された。

歴史

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日本統治下までは 平安北道に属していたが1949年に行政区域改編で慈江道が新設され、編入された。

朝鮮戦争中の1950年10月26日大韓民国国軍が北進し、楚山郡にまで至ったが、まもなく中国人民志願軍の参戦で後退した。

1999年にはこの地域で高句麗古墳群が発掘された。

年表

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この節の出典[3]

  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安北道楚山郡に以下の面が成立。(11面)
    • 郡面・東面・西面・城面・南面・古面・豊面・板面・松面・江面・桃源面
  • 1918年 - 郡面が楚山面に改称。(11面)
  • 1939年 - 西面・城面が合併し、城西面が発足。(10面)
  • 1940年 - 城西面の一部が楚山面に編入。(10面)
  • 1945年(光復直後) - 城西面が楚山面、碧潼郡吾北面・雩時面に分割編入。(9面)
  • 1949年1月 - 平安北道の分割により、慈江道楚山郡となる。(9面)
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、慈江道楚山郡南面・楚山面・東面、渭原郡西泰面の一部地域をもって、楚山郡を設置。楚山郡に以下の邑・里が成立。(1邑20里)
    • 楚山邑・央土里・雲坪里・水砧里・瓦仁里・直里・蓮舞里・龍上里・安賛里・亀龍里・新楊松里・花薪里・化建里・蓮豊里・梨山里・新倉里・亀坪里・下倉里・忠上里・松廟里・章吐里
  • 1954年10月 - 下倉里の一部が雩時郡雩時邑に編入。(1邑20里)
  • 1961年 (1邑18里)
    • 新倉里が古豊郡に編入。
    • 下倉里が雩時郡に編入。

産業

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概して山間地域が多くて畑作をしている。養蜂も主要産業の一つである。全体面積の76.1%が森林地帯で、丸太生産もしている。

行政区域

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現在楚山郡には1邑と18里がある。

  • 楚山邑(チョサヌプ)
  • 央土里(アントリ)
  • 雲坪里(ウンピョンニ)
  • 水砧里(スチムニ)
  • 瓦仁里(ワインニ)
  • 直里(チンニ)
  • 蓮舞里(リョンムリ)
  • 龍上里(リョンサンニ)
  • 亀龍里(クリョンニ)
  • 新楊松里(シニャンソンニ)
  • 花薪里(ファシンニ)
  • 化建里(ファゴンニ)
  • 蓮豊里(リョンプンニ)
  • 梨山里(リサンニ)
  • 亀坪里(クピョンニ)
  • 忠上里(チュンサンニ)
  • 松廟里(ソンミョリ)
  • 章吐里(チョントリ)
  • 安賛里(アンチャンニ)

脚注

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  1. ^ 조선중앙통계국,2008년 인구 조사,2009년.
  2. ^ 楚山”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2022年8月15日閲覧。
  3. ^ 자강도 초산군 역사