コンテンツにスキップ

シャカ (お笑いコンビ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
植松俊介から転送)
シャカ
メンバー 大熊ひろたか
植松俊介
別名 A・ロックマン(大熊が舞台の脚本、演出を行う時に使用)
結成年 1997年
事務所 ホリプロ
ワタナベエンターテインメント
活動時期 1997年 - 2015年
出身 ホリプロタレントスカウトキャラバン
出会い 小学校時代
現在の活動状況 活動休止中(大熊のみピンで活動)
芸種 コント漫才
ネタ作成者 大熊ひろたか
過去の代表番組 爆笑オンエアバトル
感じるジャッカル
Goro's Bar
クリック!
なまあらし LIVESTORMなど
同期 エレキコミック
パックンマックン
いとうあさこ
インスタントジョンソン
公式サイト 公式プロフィール
テンプレートを表示

シャカは、かつてワタナベエンターテインメントで活動していたお笑いコンビ。当初はホリプロに所属していた。1997年結成。2015年3月2日に活動休止を発表[1]

メンバー

[編集]

植松 俊介(うえまつ しゅんすけ、 (1974-08-22) 1974年8月22日(50歳)- )

大熊 ひろたか(おおくま ひろたか、 (1974-12-16) 1974年12月16日(50歳)- )

  • 旧芸名・本名は大熊 啓誉。読みは同じ。改名の時期は不明[注釈 1]
  • ボケ(一部のネタではツッコミ)担当。立ち位置は向かって左。
  • 香川県高松市香西出身。大手前高松高等学校法政大学卒業。
  • 血液型O型。身長168cm。妻はタレント市川円香。1児の父。
  • 甘いマスクで女性ファンも多い。
  • プロレスが好きで話はじめると止まらない。
  • R-1ぐらんぷり2006、2007、2009準決勝進出者。
  • コンビ活動休止後の現在は、俳優として「大熊ひろたか」、ピン芸人として「シャカ大熊」の2つの名義を持ち、ナベプロのホームページにもそれぞれにプロフィールページがある。
  • A・ロックマン」名義で舞台の脚本、演出も多数行っている[3]

概要

[編集]

1997年結成。コンビ名は漫画聖闘士星矢』のキャラクター「シャカ」から。当初はホリプロに所属していたが、程なくしてワタナベエンターテインメントへ移籍。2000年代を中心に活躍し、『新しい波8』『感じるジャッカル』(共にフジテレビ)、『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)などの番組に出演。特に『爆笑オンエアバトル』には通算27回の挑戦をする程の常連であった。

2015年3月2日、出演したラジオ番組内にてコンビの活動休止を発表。この際、10年後に二人が50歳になった時に一度だけ復活ライブを開催することを宣言した[1]。また、2015年9月7日放送の『芸人報道』(日本テレビ)にて「解散式」が行われ、同番組がコンビとして最後のメディア出演となった。

基本的に大熊がボケ、植松がツッコミだが、一部のネタでは植松がボケで大熊がツッコミとなるもの(「爆弾処理」など)や両方がボケもツッコミもこなす「Wボケ・Wツッコミ」スタイルのもの(「ロシアンルーレット」「記憶喪失」など)もある。

出演

[編集]

テレビ

[編集]

ラジオ

[編集]

CM

[編集]

雑誌

[編集]

その他

[編集]
  • うどん県(香川県 2011年)JR四国の乗務員役で出演。香川県のPR。

ライブ

[編集]
  • ワタナベエンターテインメントライブ(毎月開催)
  • 東京腸捻転(年4回開催)
  • ライブエイビス(不定期開催の企画ライブ)

書籍

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 2012年現在、ワタナベエンターテインメントHPでも「大熊ひろたか」表記が用いられている。

出典

[編集]
  1. ^ a b シャカ、活動休止を発表。大熊はピン芸人、植松は芸能活動引退へ
  2. ^ 芸人報道』2015年9月7日放送分。
  3. ^ オリコンスタイル
  4. ^ 2002年度は3勝までは全て400KB以上(425KB、489KB《自己最高》、449KB)と好調であり、チャンピオン大会に出場確実と思われたが、今期4勝目を狙った2003年1月18日放送回ではオンエアは獲得したものの、345KBと伸び悩み、この得点が影響し年間ランキング21位となり、チャンピオン大会に出場できなかった(20位はアルファルファでシャカとの差はボール1個差であった)。
  5. ^ 同番組に25回以上出場している芸人の中で1度もチャンピオン大会に出場経験がないのはシャカのみである。
  6. ^ 自己最高を記録した回(2002年7月6日放送の福島収録)ではボール2個差で2位(1位は497KBを記録したルート33)であり、2003年9月26日放送の大阪収録でも477KBを記録したが、ボール1個差で2位となってしまい(1位は481KBを記録したダイアン)、惜しいところでトップ通過を逃した事が多かった。因みにこの2回を含めて2位通過を5回も経験している。

外部リンク

[編集]