栗山村
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くりやまむら 栗山村 | |||||
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廃止日 | 2006年3月20日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 今市市、日光市、足尾町、藤原町、栗山村 → 日光市 | ||||
現在の自治体 | 日光市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 栃木県 | ||||
郡 | 塩谷郡 | ||||
市町村コード | 09382-3 | ||||
面積 | 427.37 km2 | ||||
総人口 |
1,916人 (推計人口、2006年3月1日) | ||||
隣接自治体 |
栃木県:日光市、今市市、藤原町 福島県:舘岩村、檜枝岐村 群馬県:片品村 | ||||
村の木 | イチイ[1] | ||||
村の花 | シャクナゲ[2] | ||||
その他 |
村鳥:コマドリ[1] 村魚:イワナ[1] 村獣:テン[1] | ||||
栗山村役場 | |||||
所在地 |
〒321-2712 栃木県塩谷郡栗山村日蔭575 旧栗山村役場 | ||||
外部リンク | 栗山村 (Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯36度52分08秒 東経139度36分52秒 / 北緯36.869度 東経139.61431度座標: 北緯36度52分08秒 東経139度36分52秒 / 北緯36.869度 東経139.61431度 | ||||
ウィキプロジェクト |
栗山村(くりやまむら)は、かつて関東地方の北部、栃木県北西部に存在した村。
2006年3月20日、今市市、(旧)日光市、足尾町、藤原町と合併し、新設された日光市の一部となった。県内の自治体としては最大の面積があり、周囲を険しい山々に囲まれた、過疎化が顕著な村であった。県内最後の村であり、この日以来、栃木県から村が消滅した。以前はダムで自立を目指していたこともあった[3] 。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1873年:栗山郷10か村(上栗山村・黒部村・野門村・土呂部村・川俣村・日蔭村・日向村・湯西川村・西川村・川治村)を管轄する栃木県第三大区三小区第十三事務所を日向村に設置する[5]。
- 1873年:黒部村に黒部村外九か村戸長役場を設置し、初代戸長(官選)に黒田与五平が就任する[5]。
- 1884年:川治村を藤原郷に移管する[6]。
- 1889年4月1日:上栗山村・黒部村・野門村・土呂部村・川俣村・日蔭村・日向村・湯西川村・西川村の9村が合併し、栗山村が発足。
- 1890年4月30日:村役場を黒部125番地に設置する[7]。
- 1951年11月:村役場を日蔭577番地(青柳)に移転する[8]。
- 1971年12月:村役場を日蔭575番地に移転する[8]。
- 2005年11月1日:上栗山の若間地区が大字若間として独立する[9]。
- 2006年3月20日:今市市、日光市、足尾町、藤原町と新設合併し、現在の日光市となる。
国有地および国有林野下戻し訴訟事件
[編集]1871年(明治5年)、地租改正が行われた当時、山林のほとんどは地域住民が所有する共有林であったが、税の負担を逃れるために所有を放棄。山林の大半は国へ返上され国有林となった。しかし1865年、国有林の自由伐採が禁じられ有償払い下げとなると、薪炭製造で生計を立てていた村人たちの生活は困窮していった。栗山村は政府に嘆願するも却下され、1905年(明治38年)に国有林の下戻し訴訟を行うも、長い間棚ざらしとなった。1950年(昭和25年)に実地調査が行われ[10]、1952年(昭和27年)、48年目にして栗山村が勝訴。国有林は栗山村へ返還された。
提携都市
[編集]行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 村長 | 就任 |
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1 | 黒田与五平 | 1889年4月[7] |
2 | 山口丈七郎 | 1895年[7] |
3 | 井狩利祐 | 1898年[7] |
4 | 山口丈七郎 | 1903年[7] |
5 | 国分洗次郎 | 1904年[12] |
6 | 高山久之丞 | 1907年9月[12] |
7 | 国分洗次郎 | 1911年9月[12] |
8 | 山本五郎平 | 1913年2月[12] |
9 | 斎藤続次郎 | 1914年3月[12] |
10 | 山本五平 | 1920年3月30日[13] |
11 | 山口譲 | 1934年4月18日[14] |
12 | 大類元吉 | 1947年4月10日[15] |
13 | 山越英祐 | 1949年6月3日[15] |
14 | 福田岸三 | 1960年5月1日[16] |
15 | 山越久之助 | 1964年5月1日[17] |
16 | 大類喜太郎 | 1967年8月12日[18] |
17 | 斎藤喜美男 | 1979年8月12日[19] |
18 | 山越祐三郎 | 2002年4月[20] |
19 | 山越梯一 | 2003年10月[21] |
産業
[編集]伝統的な生業は林業と製材(木挽)で、冬は製炭、夏は養蚕を行っていた[22]。高度経済成長期になると、ダム建設の開始により、ダム工事とそれに付随する道路工事に従事する村民が多くなった[23]。
日露戦争(1904年 - 1905年)を前後して、鬼怒川でサンショウウオを捕獲し、燻製にして販売する副業を行う人が現れた[24]。サンショウウオ漁は梅雨の時期に限られるが、多い年は50万匹獲れたという[25]。
学校
[編集]- 栗山村立栗山小学校・中学校(併設)
- 栗山村立湯西川小学校・中学校(併設)
交通
[編集]鉄道路線
[編集]道路
[編集]一般国道
県道・主要地方道
林道
バス
[編集]観光地
[編集]その他
[編集]ドキュメンタリー
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 13.
- ^ 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 12.
- ^ http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2010/koukyou/list/CK2009120802000228.html
- ^ “第4章 地域別実態把握”. 日光市公共施設マネジメント白書 (2012年6月). 2022年4月3日閲覧。
- ^ a b 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 473.
- ^ 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 474.
- ^ a b c d e 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 475.
- ^ a b 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 480.
- ^ 『広報くりやま平成17年11月号』栗山村役場・総務課企画担当、2005年11月 。
- ^ 「国へ帰した村有地 訴願認められ実地検証へ」『日本経済新聞』昭和25年7月12日3面
- ^ 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 493.
- ^ a b c d e 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 476.
- ^ 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 477.
- ^ 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 478.
- ^ a b 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 479.
- ^ 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 481.
- ^ 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 483.
- ^ 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 484.
- ^ 栗山村誌編さん委員会 編 1998, p. 490.
- ^ 金山十一「栗山村長選 山越祐三郎氏が無投票で初当選果たす」毎日新聞2002年4月10日付朝刊、栃木版23ページ
- ^ 「栗山村長選 山越梯一氏が初当選」毎日新聞2003年10月13日付朝刊、栃木版27ページ
- ^ a b 小林 1971, p. 117.
- ^ 小林 1971, p. 118.
- ^ 小林 1971, pp. 118–119.
- ^ 小林 1971, p. 119.
- ^ "奥日光・平家村〜栃木県栗山村〜". NHK. 2023年1月21日. 2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 栗山村誌編さん委員会 編『栗山村誌』栗山村、1998年3月31日、501頁。 NCID BA37208498。
- 小林昌人 著「奥鬼怒の民家―栃木県塩谷郡栗山村」、山本勝巳・川島宙次・小林昌人 編『関東地方の民家』明玄書房、117-136頁。全国書誌番号:73002390