柳沢保光
表示
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 宝暦3年4月4日(1753年5月6日) |
死没 | 文化14年1月20日(1817年3月7日) |
別名 | 安信 |
諡号 | 尭山 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 大和国郡山藩主 |
氏族 | 柳沢氏 |
父母 | 父:柳沢信鴻、母:真田信弘の娘 |
兄弟 | 保光、信復、武田信明、六角広寿、里之 |
妻 | 正室:松平輝高の娘・永子 |
子 | 保民、保泰、中川久貴、娘(柳沢光被継室)、娘(松浦皓正室)、娘(戸田氏綏正室)、柳生俊豊、武田信之、里顕、娘(内藤信敦正室)、娘(外山光施室) |
柳沢 保光(やなぎさわ やすみつ)は、江戸時代中期の大名。大和国郡山藩の第3代藩主。郡山藩柳沢家4代。2代藩主柳沢信鴻の長男。
年譜
[編集]- 1753年(宝暦3年) - 信鴻の長男として生まれる
- 1767年(明和4年) - 将軍家初御目見
- 1773年(安永2年) - 信鴻隠居、柳沢家相続
- 1787年(天明7年) - 大飢饉発生。城下町の民家を群衆が打ち壊し、米穀を奪い取る騒ぎとなった。
- 1811年(文化8年):隠居
- 1817年(文化14年) - 卒、享年65