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松本佐多

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松本 佐多(まつもと さだ[1]、本名:愛子、1873年1月12日 - 1955年6月23日)は祇園甲部芸妓京舞井上流日本舞踊家。

井上流の名手 松本佐多

佐多は父、虎次郎、母、とみの娘として一力亭近くの屋形(置屋)『増富』でうまれ、幼少のころに両親を亡くし、『増富』の芸妓、小美勇の養女となる。6歳のときに井上流に入門。そこで舞を磨き、師匠である3世井上八千代にその才能を見出された。15歳で芸妓に出て、18歳で異例である免状を受ける。数々の舞を演じ、高い評価を受ける。

歌舞伎俳優である2代目市川左團次をはじめ、谷崎潤一郎など数々の著名人らとの交友を深め、特に左團次とは長く、彼の号にちなみお茶屋『杏花』を開業。

また、佐多は井上八千代の右腕として後輩の育成に努め、1948年(昭和23年)、門外不出である井上流の東京公演を成功させ、1950年(昭和25年)に京都文化院文化賞、1952年(昭和27年)に文部省芸術祭賞(舞踊部門)を受賞した。1955年、88歳で逝去した。

著書

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  • 堂本寒星『京舞名匠・佐多女芸談』川原書房、1947
    • 同『日本の芸談 4 舞踊・邦楽』九藝社、1979
  • 井上甚之助『佐多女聞書』創元社、1953年

脚注

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  1. ^ 井上八千代「私の履歴書」『私の履歴書:文化人10』日本経済新聞社、1984年、298頁。