松平信愛
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永8年3月4日(1779年4月20日) |
死没 | 文化2年3月27日(1805年4月26日) |
改名 | 盤丸、三郎(幼名)、信愛 |
戒名 | 台岳院殿雲誉照月義山大居士 |
墓所 | 東京都港区高輪の松光寺 |
官位 | 従五位下・山城守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 出羽上山藩主 |
氏族 | 藤井松平家 |
父母 | 松平信亨、松平信古 |
兄弟 |
信古、信恭、信愛、鋭丸、三枝守典室、 松平信愛養女 |
妻 | 松平親貞娘 |
子 | 松平信行正室、信行 |
松平 信愛(まつだいら のぶざね)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。出羽国上山藩6代藩主。官位は従五位下・山城守。藤井松平家嫡流12代。
生涯
[編集]安永8年(1779年)3月4日、4代藩主・松平信亨の四男として誕生した。寛政8年(1796年)に兄で先代藩主の信古が死去したため、その養子として跡を継いだ。同年12月28日に叙任する。兄の代からの藩政改革をめぐって家臣団の争いが続いた。
文化2年(1805年)3月27日、大坂加番在任中に死去した。享年27。跡を養子の信行が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 松平親貞の娘
養子
脚注
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