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木辺孝慈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木邊 孝慈
1881年4月11日 - 1969年1月23日
生地 日本の旗 日本 京都府
没地 日本の旗 日本
宗旨 浄土真宗
宗派 本願寺派
寺院 西本願寺
明如
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木邊 孝慈(きべ こうじ、1881年明治14年)4月11日 - 1969年昭和44年)1月23日)は、真宗木辺派の僧侶。男爵西本願寺21世法主 明如(大谷光尊)の次男、22世法主 鏡如(大谷光瑞)の弟。

略歴

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1894年に、錦織寺19代住職・木辺淳慈の養子となり、1896年に特旨により男爵となる[1]前田慧雲に師事し仏学を修める[1]。 当時、真宗木辺派に後継者がいなかったので、17歳で本山・錦織寺に入り第20代法主を継ぐ。法隆寺佐伯定胤唯識の講義を受けている。学徳共に秀で人望も厚かった。1940年(昭和15年)、大日本仏教会初代会長となる。

家族・親族

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栄典

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脚注

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  1. ^ a b 木辺孝慈『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  2. ^ 『官報』第7157号「叙任及辞令」1907年5月11日。
  3. ^ 『官報』第4359号「叙任及辞令」1941年7月19日。
その他の役職
先代
木辺淳慈
真宗木辺派
第20世
次代
木辺宣慈
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
木辺家初代
1896年 - 1947年
次代
華族制度廃止