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木本源吉

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木本源吉

木本 源吉(きもと げんきち、1872年6月15日(明治5年5月10日[1][2])- 1944年昭和19年)1月5日[3][4])は、明治から昭和前期の実業家政治家衆議院議員貴族院多額納税者議員奈良県奈良市長

経歴

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奈良県添上郡紀寺村[5](奈良町を経て現奈良市[6])で、豪農・木本孫治郎の長男として生まれる[2][5][7]同志社政法学校で経済を学んだ[1][4][6]

帰郷して家業に従事し[1]、1910年(明治43年)8月、家督を相続した[2][7]。奈良銀行頭取、産業銀行頭取、奈良県農工銀行取締役、日本勧業銀行地方顧問、奈良実業協会会長、奈良県実業連合会会長、奈良教育会会長、兵事会会長、日本赤十字社奈良委員長、大日本武徳会地方委員、恩賜財団済生会評議員、大和山岳会長などを務めた[1][2][3][4][6]

政界では、奈良市会議員、同参事会員に就任[1][3][4]。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙に奈良県奈良市から出馬して当選し、次の第8回総選挙でも再選され、衆議院議員を連続2期務めた[4][6]。この間、衆議院議員選挙法改正調整会委員を務めた[3]。1908年(明治41年)4月、奈良市長に就任し、1911年(明治44年)10月まで務めた[2]。同年、貴族院多額納税者議員に互選され[2][5]、同年9月29日[8]から1918年(大正7年)9月28日まで在任した[3]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『大正人名辞典 第3版』839頁。
  2. ^ a b c d e f 『日本の歴代市長』第2巻、877頁。
  3. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』196頁。
  4. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』210頁。
  5. ^ a b c 『日本ダイレクトリー』特46-47頁。
  6. ^ a b c d 『衆議院議員略歴』381頁。
  7. ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』キ35頁。
  8. ^ 『官報』第8485号、明治44年9月30日。

参考文献

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  • 清田伊平編『日本ダイレクトリー:御大典記念』甲寅通信社、1915年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目

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