木原村
表示
きはらむら 木原村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 木原村、安中村 → 美浦村 |
現在の自治体 | 美浦村 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 稲敷郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 安中村、江戸崎町、君原村、舟島村 |
木原村役場 | |
所在地 | 茨城県稲敷郡木原村大字木原 |
座標 | 北緯36度00分16秒 東経140度18分07秒 / 北緯36.00456度 東経140.30192度座標: 北緯36度00分16秒 東経140度18分07秒 / 北緯36.00456度 東経140.30192度 |
ウィキプロジェクト |
木原村(きはらむら)は、茨城県稲敷郡にかつて存在した村。現在の美浦村西部である。
地勢
[編集]北は一面霞ヶ浦に瀬し、台地と平地が入り組む谷戸が多い。田は東北に開け、南西は山林原野である。
歴史
[編集]古くは土岐氏の配下から佐竹氏に帰し、幕藩体制では主に仙台藩領。維新後は宮谷縣、新治縣から茨城県の所管に。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、旧木原村・請領村・大須賀津村・茂呂村・宮地村・布佐村・大谷村・信太村・興津村が合併、信太郡木原村が発足。旧村は大字に移行する。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 信太郡が河内郡と合併し稲敷郡が発足。稲敷郡木原村。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 安中村および舟島村の一部(舟子)と合併し霞村が発足(美浦村に即日改称)。同日木原村廃止。
変遷表
1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治29年 4月1日 |
昭和30年 4月1日 |
現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
木原村 | 木原村 | 稲敷郡 発足。 |
木原村 | 霞村 即日改称 美浦村 |
美浦村 | |
請領村 | ||||||
大須賀津村 | ||||||
茂呂村 | ||||||
宮地村 | ||||||
布佐村 | ||||||
大谷村 | ||||||
信太村 | ||||||
興津村 |
地域
[編集]木原、請領(うけりょう)、大須賀津(おおすかづ)、茂呂(もろ)、宮地(みやぢ)、布佐(ふさ)、大谷(おおや)、信太(しだ)、興津(おきつ)。9大字
人口・世帯
[編集]人口
[編集]総数 [単位: 人]
1891年(明治24年) | 3,208 |
1912年(大正元年) | 4,022 |
1920年(大正 9年) | 4,332 |
1935年(昭和10年) | 4,571 |
1950年(昭和25年) | 5,557 |
この節の加筆が望まれています。 |
世帯
[編集]総数 [単位: 世帯]
1920年(大正 9年) | 855 |
1935年(昭和10年) | 825 |
1950年(昭和25年) | 999 |
この節の加筆が望まれています。 |
官公署
[編集]交通
[編集]道路
[編集]土浦から江戸崎を経由する「銚子街道」である。里道では君原、奥野を経由し龍ケ崎に至ることができる。
航路
[編集]大正に入り木原発着所に汽船が通じ、土浦、佐原、銚子、牛堀および大船津を結ぶ。
名所
[編集]- 楯縫神社 - 縣社、一ノ宮、大字木原字郷中、役場に隣接
- 楯縫神社 - 村社、信太
- 木原の大杉 - 一ノ宮楯縫神社の御神木
- 大船戸 - 木原
- 愛宕神社 - 木原
- 木原城
- 銚子が森 - 木原
- 櫻城山 - 布佐、稲荷神社を祀る。
木原送信所
[編集]木原送信所(きはらそうしんじょ)は、旧霞ヶ浦海軍航空隊の送信所。正五角形の敷地の各頂点に立つ鉄塔から無線通信を行う。
横須賀海軍建築部木原村海軍出張所が建設を指揮した。敗戦後は昭和21年1月10日および7月1日を以って病院として一時使用が認可され、新治共同病院分室(のち木原協同病院)が開業した。現況は主に美浦村社会福祉協議会の自立支援センター、村民運動公園および住宅である。
人物
[編集]- 葉梨新五郎 - 木原
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、角川書店、1983年 ISBN 4040010809