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日本鋳造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本鋳造株式会社
Nippon Chuzo K.K.
種類 株式会社
市場情報
本社所在地 日本の旗 日本
210-9567
神奈川県川崎市川崎区白石町2-1
設立 1948年昭和23年)12月1日
1920年9月1日創業)
業種 鉄鋼
法人番号 8020001074100 ウィキデータを編集
事業内容 鋳造鋼の製造・販売
代表者 鷲尾勝(代表取締役社長
資本金 26億2797万3千円
(2012年9月30日現在)
売上高 連結 120億91百万円
単体 117億07百万円
純利益 連結 3億31百万円
単体 4億19百万円
純資産 連結 103億84百万円
単体 103億29百万円
総資産 連結 198億99百万円
単体 198億81百万円
従業員数 連結 301人 単体 297人
決算期 3月31日
主要株主 JFEスチール 33.98%
日立建機 14.01%
榎本里司 2.80%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 1.25%
松井崇 0.76%
関係する人物 浅野総一郎(創業者)
外部リンク www.nipponchuzo.co.jp
特記事項:財務データは2020年3月31日現在[1]
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日本鋳造株式会社(にっぽんちゅうぞう、: Nippon Chuzo K.K.)は、鋳鋼、鋳鉄品の製造を行っている日本の企業である。JFEホールディングスグループ。

主要製品

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主な製品は鉄系鋳造品および橋梁・建築要素部品で、鉄系鋳造品には半導体製造装置向け精密部品や鉱山・防衛関係の特殊車両部品などを、橋梁・建築要素部品には斜張橋のケーブルバンド、落橋防止装置、欄干、照明、各種ジョイント部品を生産している。

主要事業所

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創立の経緯

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第一次世界大戦で世界的に船舶不足になると、日本の造船業は未曾有の好景気を享受した。そこで浅野総一郎は1916年(大正5年)に横浜造船所を設立し、同年中に浅野造船所に改称した。浅野造船所は、船体だけを造り、機関は浦賀船渠石川島造船所に外注した。ところが、両社とも自社の造船で忙しく、浅野造船所は後回しにされたのだが、特に鋳物の遅れが目立った。そこで、浅野が鋳物工場を創立するように、浦賀船渠が提案した。こうして1920年(大正9年)9月に日本鋳造株式会社を創立した。社長は浅野総一郎、専務取締役は浦賀船渠から派遣された伊藤富蔵、取締役技師長も浦賀船渠から石田富次郎が就任した。このとき既に第一次世界大戦が終わって戦後恐慌になり、造船業は特に深刻な状況だったので、日本鋳造は創立早々苦境に陥った[2]

沿革

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関係会社

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  • 株式会社ダット
  • 株式会社エヌシーシー

脚注

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  1. ^ 第98期有価証券報告書” (PDF). 日本鋳造株式会社 (2020年6月18日). 2021年4月15日閲覧。
  2. ^ 日本鋳造、1970年『日本鋳造50年史』33-40頁
  3. ^ 資本業務提携及び第三者割当による新株式発行に関するお知らせ

外部リンク

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