新潟海岸
地理
[編集]新潟市の海岸線約30kmのうち、中央部を指す。通称では、信濃川河口の新潟港西口から関屋分水までの約6kmを指し、港より南西へ日和山浜、寄居浜、金衛町浜、関屋浜と旧地名を冠した各浜を含む。行政名称ではこれに小針浜などを含む青山地区海岸を加え、約15kmを指す[1]。
歴史
[編集]古来季節風による飛砂は砂丘の形成と汀線を前進させ、居住者にも害を及ぼした[1]。信濃川河口左岸、砂丘の陰に開けた原初の新潟湊の様子を1662年(寛文2年)刊行の『為愚痴物語』で、「花ならばいくをび袖におしままし砂のふぶきの新潟の浜」と紹介。藩政期を通じて耕地や町並みの埋没防止に簀垣の設置やグミ、クロマツの植栽工事が間断なく続けられた[1]。
明治期には、「砂山を三つこえて相当歩いて寄居浜に着く」と古老が言うほど砂丘が成長[1]。大正年間大河津分水と信濃川河口の本格的な西突堤の建築により、信濃川の土砂供給が減少し、大規模な海岸決壊が始まる[2]。
寄居浜では1904年(明治37年)から1927年(昭和2年)までに約228m[注 1]、その後1950年(昭和25年)までに100m、さらに1957年(昭和32年)までに100mと汀線が後退して、砂丘1列が完全に消滅。日和山地区(二葉町)では、家屋流失まで起こった。1960年(昭和35年)までに護岸工事が完成して以降、海岸決壊は止まっている[3]。
現在関屋分水までの約6kmの海岸は、幅200から300m、約22haの海浜公園(西海岸公園)として整備されている。新潟縣護國神社周辺は寄居浜公園と呼ばれ、北原白秋の『すなやま』の歌碑、プール、水族館、遊歩道などが配置された休養緑地帯となっている[3]。
2020年には青山海岸で高さ最大2.2 mの大規模な浜崖の形成が確認された[4]。
海水浴場
[編集]- 日和山浜海水浴場
- 関屋浜海水浴場
- 青山海岸海水浴場
脚注
[編集]- 注釈
- ^ なお、同地から着想を得た童謡「砂山」が作られたのは1922年(大正11年)である。
- 出典
- ^ a b c d 角川地名15、p.1012
- ^ 角川地名15、p.1012-1013
- ^ a b 角川地名15、p.1013
- ^ “新潟・青山海岸に大規模な浜崖 全長700メートル超 過去40年で最大か”. 新潟日報. (2020年5月3日)
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。