新川恵
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新川恵 (布施恵) | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県 |
生年月日 | 1943年11月24日(81歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 |
阪神・佐藤勇(1962年 - 1968年) 阪神・澁川久作(1968年 - 1969年) 中山・稗田敏男(1969年) 中山・中野吉太郎(1970年 - 1972年) 中山・松永光雄(1972年 - 1973年) 栗東・布施正(1973年 - 引退) |
初免許年 | 1962年 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 1978年 |
通算勝利 | 1953戦175勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1978年(1979年開業) |
調教師引退日 | 2013年2月28日 |
経歴 | |
所属 | 栗東T.C. |
新川 恵(しんかわ めぐむ、1943年11月24日 - )は、日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師で、元騎手。
義理の父(妻の父)に元調教師の布施正、義理の妹たち(妻の妹たち)の配偶者に元調教師の岩元市三、柴田光陽らがいる。
新川は結婚前の姓で、結婚後は布施姓となっていたが、その後ふたたび新川姓に戻っている。
来歴
[編集]1961年に阪神の佐藤勇厩舎所属の騎手見習いとなる。翌1962年に騎手免許を取得し、同厩舎所属でデビュー。1968年に同じく阪神の澁川久作厩舎所属、1969年に関東・中山の稗田敏男厩舎所属、1970年には中山の中野吉太郎厩舎所属、1972年に中山の松永光雄厩舎所属、1973年に再び関西の栗東の布施正厩舎所属と、いくつもの厩舎を渡り歩いた。 1978年に調教師免許を取得し、騎手を引退した。騎手成績は中央競馬通算1952戦175勝。
翌1979年に厩舎を開業。初出走は同年10月20日中京第8競走のシゲルファイターで11着、初勝利は同年12月22日阪神第7競走のベルアンドベルで、延べ11戦目であった。1981年の京都大賞典をイナドコトブキで制し、重賞初勝利を挙げた。G1競走勝利は達成出来なかった。
騎手は小牧太、芹沢純一、弟子である高井彰大の起用が特に多かった。
2013年2月28日付で、調教師を引退した[1]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 141 | 137 | 168 | 1798 | .078 | .155 |
障害 | 34 | 30 | 22 | 155 | .219 | .413 |
計 | 175 | 167 | 190 | 1953 | .090 | .175 |
日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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重賞初騎乗 | 1965年6月20日 | アラブ大障害(春) | トツプモード | 6頭 | 5 | 5着 |
GI級初騎乗 | 1966年4月10日 | 桜花賞 | タニノジヨウイナ | 23頭 | 22 | 13着 |
調教師成績
[編集]日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1979年10月20日 | - | シゲルファイター | - | - | 5着 |
初勝利 | 1979年12月22日 | - | ベルアンドベル | - | - | 1着 |
重賞初出走 | 1980年5月11日 | 阪急杯 | イナドコトブキ | 13頭 | 1 | 3着 |
重賞初勝利 | 1981年10月4日 | 京都大賞典 | イナドコトブキ | 8頭 | 2 | 1着 |
GI初出走 | 1981年11月8日 | 菊花賞 | アジシバオー | 21頭 | 4 | 6着 |
主な管理馬
[編集]- イナドコトブキ(1981年 京都大賞典)
- アジシバオー(1982年 日経新春杯)
- ネーハイビクトリー(1993年 中日新聞杯)
- アラタマワンダー(1996年 小倉大賞典)
- ネーハイタフネス(1996年京都大障害(春))
- マキハタコンコルド(2000年 東京オータムジャンプ、中山大障害3着)
- アラタマインディ(2002年 小倉記念)
- キネティクス(2004年 イナリワンメモリアル、キャピタルステークス、2006年 富士ステークス)
- マキハタサイボーグ(2007年 ステイヤーズステークス)
主な厩舎所属者
[編集]※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
脚注
[編集]- ^ “引退調教師情報 新川 恵(シンカワ メグム)”. 日本中央競馬会. 2013年3月15日閲覧。