承天寺
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萬松山承天寺 | |
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所在地 | 福岡県福岡市博多区博多駅前一丁目29番9号 |
位置 | 北緯33度35分42.8秒 東経130度25分1.3秒 / 北緯33.595222度 東経130.417028度座標: 北緯33度35分42.8秒 東経130度25分1.3秒 / 北緯33.595222度 東経130.417028度 |
山号 | 萬松山 |
宗旨 | 臨済宗(禅宗) |
宗派 | 東福寺派 |
創建年 | 仁治3年(1242年) |
開基 | 円爾 |
正式名 | 萬松山敕賜承天禪寺 |
法人番号 | 7290005000258 |
承天寺(じょうてんじ)は、福岡県福岡市博多区博多駅前にある臨済宗東福寺派の寺院である。博多旧市街にある寺院の一つ。
歴史
[編集]仁治3年(1242年)、大宰少弐・武藤資頼が円爾(弁円、聖一国師)を招聘して創建[1]。創建にあたっては謝国明ら宋商人が多く援助した。寛元元年(1243年)、官寺となる。
伽藍
[編集]仏殿「覚皇殿」、方丈、開山堂などがある。方丈の前には石庭「洗濤庭」が広がる。墓地には新派俳優の川上音二郎や、宋で織物技術を学び博多織を始めた満田弥三右衛門らの石碑(墓所は聖福寺)がある。
境内は市道によって北東と南西に分かれる。これは昭和38年(1963年)の博多駅移転に伴う区画整理事業によって通されたもので、このため山門や仏殿は南西側、本堂や墓地などは北東側に分断されている。
博多千年門
[編集]平成26年(2014年)3月28日、承天寺通りの一角に新たな博多のシンボルとなる博多千年門(せんねんのもん)が完成した。千年門は古文書に登場する博多の出入り口「辻堂口門(つじのどうぐちもん)」をモデルにした木造瓦ぶきの四脚門。高さ、幅ともに約8メートルで、博多の街の未来千年の繁栄を願って命名された。通りのうち寺の境内に挟まれた約150メートルには、マツやモミジ、自然石が配置され、庭園のような趣となっている。扁額は太宰府天満宮の西高辻宮司による揮毫である[2][3]。
文化財
[編集]重要文化財
[編集]福岡市指定有形文化財
[編集]その他
[編集]- 「饂飩蕎麦発祥之地」の石碑 - 仁治2年(1241年)に円爾が宋から帰国した際に技術を持ち帰った。承天寺には詳細な製粉法を記した古文書水磨の図が残っている。
- 「御饅頭所」の石碑 - 円爾が宋から持ち帰った饅頭の製法を茶店に伝え、与えた看板(虎屋所蔵)の文字を彫っている。
- 「満田彌三右衛門之碑」 - 円爾とともに宋に渡り、織物、麝香、素麺、金箔、朱の製法を持ち帰った。
- 「山笠発祥之地」の石碑
- 「舊就義隊碑」福岡藩兵の部隊履歴について。荒井周大編『福岡県碑誌』福岡県碑誌保存會、昭和4年
- 「川上音二郎の墓所」日本近代演劇の祖の墓
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 渡辺文吉『武藤少弐興亡史』 (海鳥社、1989年)の91ページに、「「万松山勅賜承天禅寺由来縁起」で当山は大宰少弐藤原資頼寺地の喜捨あり」と記述がある。
- ^ 新しい名称は「承天寺通り」に決定 博多の魅力 - 2013年9月23日付
- ^ 博多の新シンボル完成 「千年門」1000人通り初め 西日本新聞 - 2014年3月28日付
関連項目
[編集]- 筥崎宮 - 聖一国師報賽式
- 武藤資頼
- 博多うどん
- 若八幡宮
- 祇園駅
- 東長寺(南岳山東長密寺)
- 聖福寺(安國山扶桑最初禪窟聖福至仁禪寺)、護聖院、順心寺、永寿院、円覚寺、節信院、妙楽寺、乳峯寺
- 博多旧市街
- 櫛田神社(櫛田大明神・祇園大明神)、大乗寺跡
- 冷泉公園
- 綱敷天満宮
- 日本の寺院一覧
- 日本の寺の画像一覧