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承天寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
萬松山承天寺
所在地 福岡県福岡市博多区博多駅前一丁目29番9号
位置 北緯33度35分42.8秒 東経130度25分1.3秒 / 北緯33.595222度 東経130.417028度 / 33.595222; 130.417028座標: 北緯33度35分42.8秒 東経130度25分1.3秒 / 北緯33.595222度 東経130.417028度 / 33.595222; 130.417028
山号 萬松山
宗旨 臨済宗禅宗
宗派 東福寺派
創建年 仁治3年(1242年
開基 円爾
正式名 萬松山敕賜承天禪寺
法人番号 7290005000258 ウィキデータを編集
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承天寺(じょうてんじ)は、福岡県福岡市博多区博多駅前にある臨済宗東福寺派寺院である。博多旧市街にある寺院の一つ。

歴史

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仁治3年(1242年)、大宰少弐武藤資頼円爾(弁円、聖一国師)を招聘して創建[1]。創建にあたっては謝国明商人が多く援助した。寛元元年(1243年)、官寺となる。

伽藍

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仏殿覚皇殿」、方丈開山堂などがある。方丈の前には石庭「洗濤庭」が広がる。墓地には新派俳優川上音二郎や、宋で織物技術を学び博多織を始めた満田弥三右衛門らの石碑(墓所は聖福寺)がある。

境内は市道によって北東と南西に分かれる。これは昭和38年(1963年)の博多駅移転に伴う区画整理事業によって通されたもので、このため山門や仏殿は南西側、本堂や墓地などは北東側に分断されている。

博多千年門

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博多千年門(はかたせんねんのもん)
承天寺通り

平成26年(2014年3月28日、承天寺通りの一角に新たな博多のシンボルとなる博多千年門(せんねんのもん)が完成した。千年門は古文書に登場する博多の出入り口「辻堂口門(つじのどうぐちもん)」をモデルにした木造瓦ぶきの四脚門。高さ、幅ともに約8メートルで、博多の街の未来千年の繁栄を願って命名された。通りのうち寺の境内に挟まれた約150メートルには、マツモミジ自然石が配置され、庭園のような趣となっている。扁額は太宰府天満宮西高辻宮司による揮毫である[2][3]

文化財

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鐘楼(福岡市有形文化財)
「饂飩蕎麦発祥之地」(左)と「御饅頭所」の石碑

重要文化財

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福岡市指定有形文化財

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唐門

その他

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  • 饂飩蕎麦発祥之地」の石碑 - 仁治2年(1241年)に円爾が宋から帰国した際に技術を持ち帰った。承天寺には詳細な製粉法を記した古文書水磨の図が残っている。
  • 「御饅頭所」の石碑 - 円爾が宋から持ち帰った饅頭の製法を茶店に伝え、与えた看板(虎屋所蔵)の文字を彫っている。
  • 「満田彌三右衛門之碑」 - 円爾とともに宋に渡り、織物麝香素麺金箔の製法を持ち帰った。
  • 山笠発祥之地」の石碑
  • 「舊就義隊碑」福岡藩兵の部隊履歴について。荒井周大編『福岡県碑誌』福岡県碑誌保存會、昭和4年
  • 「川上音二郎の墓所」日本近代演劇の祖の墓

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 渡辺文吉『武藤少弐興亡史』 (海鳥社、1989年)の91ページに、「「万松山勅賜承天禅寺由来縁起」で当山は大宰少弐藤原資頼寺地の喜捨あり」と記述がある。
  2. ^ 新しい名称は「承天寺通り」に決定 博多の魅力 - 2013年9月23日付
  3. ^ 博多の新シンボル完成 「千年門」1000人通り初め 西日本新聞 - 2014年3月28日付

関連項目

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