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扶余市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中華人民共和国 吉林省 扶余市
大金得勝陀頌碑
大金得勝陀頌碑
大金得勝陀頌碑
松原市中の扶余県の位置
松原市中の扶余県の位置
松原市中の扶余県の位置
簡体字 扶余
繁体字 扶餘
拼音 Fúyú
カタカナ転写 フーユー
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
吉林
地級市 [[松原市]]
行政級別
建置 1913年
改制 2013年
面積
総面積 4,464 km²
人口
総人口(2004) 73.6 万人
経済
電話番号 0438
郵便番号 131203
行政区画代碼 220724
公式ウェブサイト http://www.jlfy.gov.cn/

扶余市(ふよ-し)は中華人民共和国吉林省松原市に位置する県級市

歴史

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扶余市は古代存在した扶余の故地であり、松花江の東岸に位置し古くから松花江水系の要衝であった。代および元代には肇州に属した。明代には三岔河衛に属したが後にモンゴル人に占領された。

清初にベドゥネ・ギャムン(bedune giyamun、伯都訥站)が設置され、康熙年間にはその南に新城が築かれ新城と称され、清末の光緒年間には新城府が設置されその管轄とされた。中華民国が成立すると1913年民国2年)に新城県が設置され、翌年扶余県と改称された。1987年に県級市に昇格し扶余市となり、1992年6月には地級市の松原市が新設されるに伴い扶余区と改編された。1995年に再び扶余県に改編され、2013年1月24日に再び県級市の扶余市に昇格された。

行政区画

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5街道、12鎮、4郷、1民族郷を管轄:

  • 街道弁事処:和興街道、育才街道、聯盟街道、士英街道、鉄西街道
  • :三岔河鎮、長春嶺鎮、五家站鎮、陶頼昭鎮、蔡家溝鎮、弓棚子鎮、三井子鎮、増盛鎮、新万発鎮、大林子鎮、新源鎮、得勝鎮
  • :永平郷、新站郷、更新郷、肖家郷
  • 民族郷:三駿満族モンゴル族シベ族郷
中国地名の変遷
建置 1913年
使用状況 扶余市
中華民国扶余県
満洲国扶余県
国共内戦期間扶余県
現代扶余県
扶余市(1987年)
扶余区(1992年)
扶余県(1995年)
扶余市(2013年)