応長
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改元
[編集]出典
[編集]『旧唐書』礼儀志の「応長暦之規、象中月之度、広綜陰陽之数、傍通寒暑之和」から。
応長期におきた出来事
[編集]- 元年
- 10月3日:北条宗宣、第11代執権となる。
死去
[編集]横浜市の富岡八幡宮等の言い伝えで、応長年間に大津波があったとされるが、それ以外の記録はなく、存否や詳細は不明。
西暦との対照表
[編集]※は小の月を示す。
応長元年(辛亥) | 一月※ | 二月 | 三月 | 四月※ | 五月※ | 六月 | 閏六月※ | 七月※ | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月 | 十二月※ |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ユリウス暦 | 1311/1/21 | 2/19 | 3/21 | 4/20 | 5/19 | 6/17 | 7/17 | 8/15 | 9/13 | 10/13 | 11/11 | 12/11 | 1312/1/10 |
応長二年(壬子) | 一月 | 二月 | 三月※ | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月※ | 十月※ | 十一月 | 十二月 | |
ユリウス暦 | 1312/2/8 | 3/9 | 4/8 | 5/7 | 6/6 | 7/5 | 8/4 | 9/2 | 10/2 | 10/31 | 11/29 | 12/29 |
関連項目
[編集]
注1:前の数字は番号。南北朝時代の「南」は南朝、「北」は北朝の元号を指す。慣例に従い南朝を正統とする。 注2:後の数字は元年と末年。源氏政権の「寿永」は元年でなく使用開始年を記し、「正平」は南北統一の年と再分裂の年、「観応」は復活の年、「明徳」は統一の年も記す。 注3:明治以前は、改元が布告された年の元日に遡って新元号を適用されたと見なす立年改元が慣例とされていた。赤背景では布告日を西暦に換算すると年が明けているが、元日に遡るのであればそのままである。例えば、安政への改元が布告された嘉永7年11月27日は1855年1月15日であるが、元日は1854年1月29日である。 | |||||||||||||
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