御影池辰雄
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御影池 辰雄(みのいけ[1] たつお、1892年(明治25年)2月20日[2] – 1969年(昭和44年)4月17日[3])は、日本の内務官僚。関東州庁長官。南満州鉄道株式会社理事。
経歴
[編集]石川県出身。1917年(大正6年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した[2]。神奈川県属、滋賀県警視、同栗太郡長、同理事官、同内務部教育課長・官房主事、同視学官、広島県書記官・学務部長を歴任した[2]。
1929年(昭和4年)、関東庁事務官に転じ、内務局学務課長・図書館長・体育研究所長、長官官房文書課長、専売局長、大連民政署長、警務局警務課長などを経て、1936年(昭和11年)に関東州庁長官に就任した[1][2]。
1937年(昭和12年)に退官した後は満州国内務局長官に任命され、1939年(昭和14年)には安東省長に転じた[4]。
1940年(昭和15年)以降は南満州鉄道株式会社理事、昭和製鋼所理事、満州化学工業株式会社取締役を務めた[5]。
1947年(昭和22年)、満鉄理事のため公職追放され[6]、1951年(昭和26年)追放解除された[7] 。
脚注
[編集]- ^ a b 人事興信録 1937.
- ^ a b c d 人事興信録 1934.
- ^ 『昭和物故人名録』 日外アソシエーツ、1983年。
- ^ 人事興信録 1939.
- ^ 人事興信録 1943.
- ^ 『朝日新聞』1947年10月8日一面。
- ^ 『朝日新聞』1951年8月7日朝刊二面。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。